盛岡タイムス Web News 2011年 3月 4日 (金)

       

■ 〈胡堂の青春育んだ書簡群〜学友たちの手紙〉15 八重嶋勲 移転事件、遂行とのことなれど

 ■後藤清造
  30はがき 明治32年9年9月12日付

宛 紫波郡彦部村大巻 野村長一様
発 嶺月生(後藤清造)

拝啓御手紙拝見仕候處、移轉事件頃日中ニハ遂行との事、私とて兼ねて持病家にも候ヘバ引移リ度ハ山々なれど家内は中々不聞、之当今之猪(川)塾ニ於て衆人に稗益する處果してあるや否やニ至りてハ到底首肯シ能ハざる處ニハ候ヘ共、家内ハ未だ尚ほ猪(川)塾をよしとし否なむしろ之を信じつつある譯なれバ、此場合強いて引移るも如何は敷く候ヘバ、先ズ見合ハす事と致し候間不悪御了承被成下度候、左いはゞ君達に対して御申譯なく候へハ不都合を致申へきハ萬々恐察奉候へ共、誠前陳之次第故決して悪く思したまはむ、吾れにハ不拘御移轉之程奉勝候、右御申譯旁々御あひさつまで申上候、草々

二伸 私ハ十五日に下り直行にて出盛之筈ニ御座候、以上
九月十二日投凾 石鳥谷より

  【解説】猪川塾が、ある事情で閉塾するのは、この9カ月後の明治33年6月初めの頃であるから、このはがきの移転騒ぎは、別の事情であるらしい。あるいは、食事の不満であったのであろうか。

  『随筆銭形平次』に、この猪川塾での「賄い退治」という文章がある。塾生17、8人が結託してご飯を「みんな一ぱいずつ食え」という合図。隣の人の膝を突いて無線電信を飛ばして、一斉に食べ始め、猪川夫人を困らせたということである。

  後藤清造は、家の人が猪川塾は最もよい下宿屋と思っているので、一緒に行動したいのは山々であるが、自分はこの移転の話にはのれない、というはがきである。

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