盛岡タイムス Web News 2011年 3月 5日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉201 岡澤敏男 岩手山麓の心象スケッチ

 ■岩手山麓の心象スケッチ

  たしかに岩手山麓の風景は賢治の心象に深く刻まれたものでした。境忠一氏がいうように「天体と山野は賢治の生涯を通じる表現の対象」であったから〈明治四十二年四月より〉の短歌に始まり昭和8年9月20日に他界する直前の〈文語詩稿〉に至るまで、岩手山麓における豊かな風景が表現され続けてきたのです。

  それら風景を地理的に見れば、滝沢村を基盤として雫石町から大更町(現八幡平市)の領域にまで及び、およそ70首の歌稿、40篇の詩(内文語詩15篇)、14篇の童話そして3篇の短篇が豊饒(ほうじょう)に表現されているのです。

  なかでももっとも頻繁に表現された地理的風景は、柳沢から一本木原へのコースや馬返し登山道、そして鞍掛山高原から春子谷地〜姥屋敷、沼森から鬼越峠〜燧堀山へのコースだったとみられる。

  このコースの中に「四つの丘」があり、4本の柏の木がざらざらと鳴り、黄金いろのヤドリギが寄生する四本の栗の木が立っていたのです。

  昭和39年8月に菅野紀子氏が興味深い調査結果を発表しています。それは賢治作品に現れる「かしはとからまつ」(『四次元』第16巻第8号)についての考察で、筑摩書房の全集中から柏の出現率を調査し出現回数が180回もあるというのです。

  その頻度は全作品に出現する約300種の植物のなかで、松やイネ、栗、ヤナギに次ぎ第5位を占めています。賢治はこうした岩手山麓に土着する主要な柏や栗の木をとりあげ、また全作品で唯一の登場とみられるミズバショウや牛の舌(べごのした・方言でザゼンソウを指す)、そして出現率がわずか6回というカタクリの花まで登場させたのは、単なる早春の景物としてではない心象スケッチであったとみられる。

  タネリはミズバショウや牛の舌の花が並んで咲いているのをみて、噛(か)んで柔らかくなっていた藤蔓(ふじづる)を「思わず吐いてしまった」がそれはなぜか。

  この場面の前にタネリが藤蔓を吐き出すのは「ちらちらちらちら、網になったり紋になったり」する青空を見たり、柏の去年の赤い葉がつめたい風で「一度にざらざら」鳴るのを聞いたりしたときという因果があるので、ミズバショウ等にも底通するものがあるのかも知れない。

  フレイザーの「金枝篇」の〈金枝〉とはヤドリギのことで、柏の樹の上にヤドリギが黄金色の葉を繁らせるものを「森の王」とみなしたらしい。しかし岩手山麓には柏に寄生するヤドリギなどはなく、栗の木に寄生するヤドリギがよくみかけます。

  賢治はこれに「金枝」の精霊を心象し、また「森の王」として柏の精霊を心象したのではなかろうか。タネリが四本の柏に枯れた草穂をつかんで結び目を四つつくったこと、牛の舌の花に対して一つづつ舌を出すという行為をしたのも、空想や幻想の営為ではなく、柏の木や牛の舌の精霊へのあいさつだったと考えられます。

  そうした「ひかり」の部分に対して「かげ」の部分がある。タネリが「一匹の大きな白い鳥(鴇)」に出会って噛んだばかりの藤蔓を吐きだす場面です。

  やがてこの鴇が異界の森に落ちこんでしまい、鴇は「暗い陰気な森」である異空間(影)の存在として分かるのです。賢治の心象はこのように現実と異界の二重世界を直感してスケッチしたといわれますが、童話「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」にその片鱗をのぞくような気がします。

■心象スケッチ『春と修羅』の序(抜粋)
 
  わたくしといふ現象は
  仮定された有機交流電燈の
  ひとつの青い照明です
  (あらゆる透明な幽霊の複合体)
  風景やみんなといっしょに
  せはしくせはしく明滅しながら
  いかにもたしかにともりつゞける
  因果交流電燈の
  ひとつの青い照明です
  (ひかりはたもち その電燈は失はれ)
 
  これらは二十二箇月の
  過去とかんじる方角から
  紙と鉱質インクをつらね
  (すべてわたくしと明滅し
   みんなが同時に感ずるもの)
  ここまでたもちつゞけられた
  かげとひかりのひとくさりづつ
  そのとほりの心象スケッチです
              (以下略)


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします