盛岡タイムス Web News 2011年 3月 9日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉219 伊藤幸子 「先生の異動」

 最終の授業終へたるわれに在る上へつづき下へもつづく階段
                          岡崎康行

  新潟県在住の元高校教諭の第二歌集「片隅の椅子」より。「人は誰にとっても、自分の住んでいるところは地球の片隅である。だから私は今もこれからも、片隅を生きるしかないと思っている。そのためのゆったりとした椅子を据えて坐ることにしよう。そうすればいつでも立ち上ることができる」とのあとがき。

  昭和15年生まれの作者、「片隅の椅子にひとりの影はゐてフラメンコ続く未明の五時へ」と詠まれたのは、氏の傾倒されるスペインの詩人、劇作家のフェデリコ・ガルシア・ロルカのゆかりの地、グラナダやマドリードを訪ねた折のことという。退職後に憧れの地を訪ね、地球の片隅、心の片隅の再確認を果たされたようだ。「未明の五時」の異空間を思いみる。

  さて学校の四季。この本には掲出歌をはじめ、たくさんの若者たちの姿が詠まれる。「反論のこゑを待ちつつ教室にわれはこころの水溜めてをり」生徒の反応を期待しつつ授業を進める先生。はっしと応える声のために先生の心も満ちてゆく。「朝の廊下走り行きたる少女ありそのあふり風長き髪の風」「明かりみな消えた校舎を見上げると教室の窓は壁より暗い」「さよならと言ひて駈けゆく生徒らの一団は知らずわが辞むること」日中、何百人という生徒らにはちきれんばかりの校舎も、夜の暗黒はことに窓の暗さに無人の寂寥を見る。

  3月の「先生の異動」は切実だ。新聞の隅から隅まで目を通し、生徒自らの卒業、進級また新しい先生への期待など、それは時折春の嵐にも似て人々を揺さぶる。「さよならと言ひて駈けゆく生徒ら」の明日に、送り出す先生の明日を重ねる。

  「行つて来ると玄関を閉めてふつと思ふ後ろが閉ぢらるるといふこと」なにげないこの歌。同じように「閉め行きし客の知らざる些事として戸が跳ね返りわづかに開く」「自動ドア閉ぢかけてまた閉ぢかけて閉ぢ切ることのなかなかできず」期せずしてドア三首。前二首は人間が閉め、あとの一首は自動ドア。しかしこの機械の扉にこそ、意志のようなものが感じられてならない。巣立ちの春、ほんの少しの偶然と、ゆるがぬと信じる意志の力で、目前のドアが開きかけ、閉じかけているようだ。
(八幡平市、歌人)


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