盛岡タイムス Web News 2011年 3月 15日 (火)

       

■ 津波から間一髪 ふれあいランドに沿岸から25人避難

 盛岡市で沿岸地域の被災者の受け入れが開始され、同市三本柳のふれあいランド岩手(倉本正次館長)には14日(午後2時現在)、気仙沼市、陸前高田市など6市町から25人が避難している。地震後の津波を間一髪で逃れ、大型保冷倉庫の中で、火の海に囲まれながら救助を待ったグループ、大津波に追われるように高台に駆け上がり、近所の人たちの助け合いで命をつないだ親子もいる。避難者は、まだ連絡が取れない家族の安否を気遣い、不安な表情を浮かべながらも「皆さんの親切に感謝したい」と口をそろえた。

  宮城県気仙沼市の日野善基さん(52)ら15人は地震後、同市弁天町の阿部長商店超低温冷蔵庫に避難、九死に一生を得た。水産加工品などを貯蔵する高さが25bほどある大型保冷倉庫。周囲は大津波と漏れた重油による火災で「火の海」と化したが、頑丈な建物がとりでとなった。

  日野さんらの話によると、大型漁船や壊れた建物が一晩中、燃えながら木の葉のように行ったりきたり。10dトラックもおもちゃの「スーパーボール」のように波にまかれて転がっていったという。迫る波、火、いつ建物が崩れるか分からない恐怖。爆発音なのか「ドーン、ドーン」と不気味な音も激しく響く。対岸にある大島も大火事になっているのが見えた。水が引くと水産加工団地の建物は骨組みだけに。線路もめくれて支えていた土手すらなくなっていた。

  想像を絶する恐怖の中、避難者は励まし合い、倉庫内にあった米袋を2重、3重にしたものに足をつっこんで暖を取った。自衛隊のヘリに救助されたのは地震、津波から丸1日たった12日夕方だった。

  日野さんは行方の分からない家族の安否を気遣い涙を浮かべながらも「温かいおにぎりは本当においしかった。岩手県の方の優しさを感じています。家族の情報がほしい」と気丈に語った。

  鈴木真樹さん(33)は地震直後、車で高台に向かったが、道路は大渋滞。振り返ると既に波が見え始め、とっさに車を乗り捨て、保冷倉庫に駆け込んだ。1階は既に水が押し寄せ必死に上階へ。行き止まりだったが、割れたガラス窓を越え、さらに上へと上った。

  「家族に会いたい。こんなところで死んでいられない」。強い思いで迷わず、機敏に判断し行動したことが生死を分けた。

  中2の娘はたまたまオーストラリアに研修旅行中。やっとつながった電話の先で泣きながら父親の無事を喜んだ。

  一方、独り暮らしだった渡辺貴代美さん(76)は親しくしている熊谷公宏さん(42)一家の声掛けで一緒に難を逃れた。これまで1960年のチリ地震津波など数多くの津波に遭遇。しかし慣れているがゆえに「この程度なら、ここまで逃げれば大丈夫」といった過信、油断があったと振り返る。「普段から逃げる場所を確定し、家族はまとまって逃げること。個人宅ではなく、できれば大きな避難施設に逃げたほうが情報も食料も届きやすい。経験者だからこそ言えること」と語った。

  倉本館長は「いまだかつてない激烈な災害で恐怖を体験してきた方々。できる限り温かい環境で、精いっぱいのことをしたい」と話した。

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