盛岡タイムス Web News 2011年 3月 16日 (水)

       

■ 被災者が続々と到着 ふれあいランド

 盛岡市三本柳のふれあいランド岩手には15日も沿岸から被災者が次々と到着した。ロビーに設置された掲示板には到着した被災者の氏名が張り出され、安否を確認に訪れる人の姿も見られた。沿岸部で被災し、避難してきた人たちに地震直後の話を聞いた。

  ■山田町の佐々木隆夫さん(61)

  地震発生時には海の近くでワカメの加工作業をしていた。揺れが収まり、「堤防のところまで船が大丈夫かと思って見に行ったら津波が来た」という。佐々木さんは避難するまもなく津波にのまれた。「俺たちは逃げる一方だった」。

  幸い傾斜のある方に逃げたため、波が佐々木さんの体を高い方へ押し上げた。高いところに道路があり、ガードレールを越えた。水が引いたらガードレールにしがみついていた。ロープなどが絡まり動けない状態で、足にも何かが刺さっていた。後から高いところから見ていた人に聞くと島と同じ高さの波だったという。「今まで全然あそこまで津波が上がったことはない」。

  佐々木さんは身を案じて様子を見に来た息子さんに助けられた。助けられたところによその家があり、その日はそこで体を休め、その後は避難場所になっていた大浦小学校へ行き2日を過ごした。「半島になっているのでなかなか助けも来なかった」。足の出血はしばらく止まらなかったという。

  家族は皆危機一髪で逃げて無事だった。自身も足や手の指のほか、顔にも擦り傷を負いながら助かった佐々木さん。「裸同然で逃げてきたから、早く帰ってみんなの手伝いをしたいが、帰る手段がない。今後のことが不安。こっちに来るときにちらっと見たが、住める状態ではなかった。どうしたらいいか。でも、職業が漁師なので半分はあそこで頑張るしかないと思っている」ともう一度山田で漁師をやりたいという。

  ■大槌町の芳賀小夜子さん(39)、みくちゃん(10カ月)

  小夜子さんは釜石市内の市民文化会館で研修会中に地震に遭った。かなり揺れが大きかったが、施設の職員何人かと来ていて戻るためにすぐに出た。大槌町吉里吉里に戻り、まちに入ったときに国道の下まで水が来ていて「こっから先は行かれないから戻れ」と言われた。

  ほかの職員は山側から迂回して行くことにしたが、小夜子さんは子どもを預けていたので車を降りて保育園に直行した。山側の方が安全だと思い、線路の上を走っているときに「自分の家の方が流されていくのが見えた」という。

  小学生の子ども2人は高台にある小学校にいたためにまずはみくちゃんが預けられている保育園に向かった。津波がひいた後に小学校に向かい、2人の子どもを連れて保育園まで戻った。保育園のすぐ上にご主人の実家があったため避難し、その日の晩は保育園に泊まった。

  みくちゃんは病気で3歳までは薬をのまなければならないが、薬は津波ですべて流されてしまった。防災ヘリに乗れるのはけが人が優先と聞き、「うちのは無理だと思っていたが乗せてもらえた」。沿岸部の病院は駄目で、盛岡市まで来て3週間分の薬が手に入った。ヘリが着いたときは薬さえもらえれば帰れると思ったが、実際は帰る手段がなかった。赤ちゃんに必要なミルクやおむつは病院や物資で分けてもらい確保した。

  「家族はみんな無事だったので、それだけは良かった。2人の子どもを残してきたので早く子どもたちに会いたい。家族と一緒に生活を立て直していきたい。生きていれば、何でもできる」。小夜子さんは10カ月のみくちゃんを抱き、目に涙をためながら気丈に話してくれた。

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