盛岡タイムス Web News 2011年 3月 23日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉221 伊藤幸子 「大震十日」

 原発の現場汚染の過去をもつ身に障りなく大根を引く
                                  松本文男
 
  「福島県双葉郡浪江町権現堂字順礼川原」の地に8年間住んだ。常磐線岩沼、相馬、原町、浪江、いわきからさらに茨城までのなだらかな海岸線は温暖で豊かな平地が広がる。私が結婚して、この浪江町の新居に着いたとたん、昭和43年5月、北海道を震源とする「十勝沖地震」が発生した。電話も通じず恐怖にかられた時の思いが、今、まさにおしよせている。

  浪江町は3月11日の巨大地震大津波で千人近い行方不明者と伝えられ、さらに東京電力福島第一原発の事故により避難、屋内退避を指示された。地震と津波と放射能の三重襲撃、この大災害をまのあたりにして言葉もない。

  松本文男さんは浪江町内でもさらに海岸に近く、大正10年生まれでことしもご夫婦連名の年賀状を頂いた。掲出歌は氏の壮年期のころの原発基地で働いておられた過去を詠んだもの。昭和40年初頭、太平洋岸の過疎地帯に次々に建設される原子力発電所は将来の日本の電力をになう国家プロジェクトにわきたっていた。「トーデン」で働く男達は羽振りよく、うちの隣りにはデンマーク出身の電力技師の一家が住んでいた。田や畑地はみるまに基地の労働者用宿泊施設等の建築ラッシュを招いた。

  「原子力は二十世紀が生んだ人類の知恵」ともてはやされ、折あるごとに原子力の必要性安全性が喧伝された。今思えばぞっとするが、原発基地の見学会に幼児をおぶって参加したこともあった。そこはすばらしく清潔な明るい環境で、パネルやさまざまな映像を見せられ、燃料棒や核分裂のしくみを解説されたが「安全神話」をくり返し強調されるほど一刻も早くこの空間から逃れたいと思った。

  「原子炉の炉心ではその泡が飽和状態になるとき、逆に一気に流体抵抗がなくなって沸騰水の驀進(ばくしん)が起こるときがくる」とは高村薫さんの小説「神の火」の一節。何度読んだかしれない。

  私は今、40年も前の新居の風景を思い出し、かの地で知りあった朴訥な歌人を思っている。子を産み育て病院にもおせわになって、そこの院長先生に「歌を作る患者さん」ときかされた方が松本さんだった。「砂あらし海へと翔(かけ)る風道の巨木の椿花わきたたす」「田植機の老いたる馭者は向う丘の遅き桜を目安にすすむ」「川鮭の今日の簗(やな)漁終りたりこぼれ腹子に月の光(かげ)差す」といった東男(あずまおとこ)の心情がたまらなく恋しい。大震十日余、氏の生存、再会の日を祈るのみである。
  (八幡平市、歌人)

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