盛岡タイムス Web News 2011年 3月 23日 (水)

       

■ 悲しみに覆われた街 大船渡市盛町で聞く

     
  津波で流された実家の周辺で話す菊池浩一さん  
 
津波で流された実家の周辺で話す菊池浩一さん
 
  大船渡市盛町を初めて津波が襲った。国道45号から盛川まで、町の南半分の商店街や住宅地が押し流された。大船渡町の市街地を乗り越えてきた波と、川をさかのぼってあふれた水が合流して町を破壊した。大船渡町より水圧は弱まり、原形を保った建物は多かったが、犠牲者が出た。開町以来の惨事に、住民は信じられない思いでいた。(鎌田大介)

  盛町は大船渡市内では1・5`から2`内陸にある。埠頭(ふとう)がある大船渡町に比べて、気仙の街道のたたずまいを残し、もともと磯の香りがしない町だ。しかし津波から1週間以上たった20日になっても、海水の生臭さが漂った。

  盛川沿いを歩くと、津波に運ばれたたくさんの大きな魚が、干からびて転がっていた。津波直後は30aほどの魚が商店街を泳いでいたという。盛駅南側の、みどり町方面の商店街や住家の被害が大きく、JR、三陸鉄道、岩手開発鉄道の線路も大きな被害を受けた。

  盛駅前の丸米酒店店主の渡辺哲郎さん(63)は後かたづけに精を出していた。「揺れが収まって店を片づけていたら、『津波来るから逃げて』と叫んできた人がいた。『あんた何言ってるんだ』と問いただした。するとマンホールががたがた揺れだした。側溝のふたが浮いて、雷が鳴るような音が聞こえてきた。水はどちらからも来た」と話す。

  大船渡市立中央公民館に待避した元教員の鈴木仁さん(81)も九死に一生を得た。「盛まで水が来た歴史はない。少しでも高いところに逃げようとしたが、足が悪くて動かず、家内が引っ張って逃げていたのを、『いいから先に行け』と言って少し流された。向こうから大工のような若い人が来て、手を引っ張って背負ってくれた。振り向くと乗用車が3台浮かんでいた」と話した。

  会社員の出羽芽さん(33)は「家は床上浸水だが、庭に7台車が流れ込んできた」と驚いている。

  避難所のリアスホールにいた無職の佐藤健七さん(77)は「5尺くらいまで水が来た。高台に逃げて命に別状はなかったが、家は壊れて、先立つ物は必要だし、年をとれば金融機関は貸さないだろうし、この先どうしたらいいのか分からない」とため息をついた。

  ライフラインの復旧は進み、商店街の半分は大きな被害を免れ、大型店が営業を再開した。市民生活は回復しつつあるが、盛町に勤務する陸前高田市の会社員の長尾大樹さん(35)は「行方不明だった兄が、おととい避難所にいたのが見つかって良かった。遺体の身元確認に上有住まで行かないとならない。身元が分からない人を近くに置いてほしい。こういうことは1日1日改善していかないと意味がない」と話す。

  津波に遭わなかった住田町を含めて、気仙地方全体が津波の悲劇に覆われている。

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