盛岡タイムス Web News 2011年 3月 25日 (金)

       

■ 雫石町民が恩返し 宮古市へトラックで物資

     
  雫石大火で受けた恩を返すため宮古市に向けて物資を積み込む雫石町民ら  
 
雫石大火で受けた恩を返すため宮古市に向けて物資を積み込む雫石町民ら
 
  雫石町の旧雫石大火記録誌編集委員会(佐々木正志委員長)は東日本巨大地震で被災した宮古市に米や水などの救援物資を送る。同町で1951年(昭和26年)5月13日に発生した雫石大火の際に、同市をはじめとする県内各地から義援金や物資が届けられたことへの恩返し。24日は同委員会の関係者や地域住民ら約15人がトラックに救援物資を積み込んだ。

 物資には「宮古市の皆さん頑張ってください。60年前の雫石大火でのご恩忘れていません。雫石のお米と水で元気を出してください」と書かれた紙が張られた。

  雫石大火では町内の下町と駅前地区で162世帯が焼け出された。当時の被災者は着の身着のままで逃げ出した住民が多く、衣類や食べ物にも苦労した。この惨事にあたって同市から心のこもった義援金が数多く寄せられた。

  当時の火災で自宅が焼けたという長坂武治さん(72)は「全国誰でも支援したいと思っているだろうが、支援された体験があるからそれだけ思いも強い。被災した体験があるもの同士、ささやかでも支援ができれば」と話す。

  60年を経て今度は沿岸部で大きな震災が発生した。当時の恩に報いたいと同委員会が中心となり義援金を集め、雫石町産の米630`、岩手山の水500_g720本を購入。靴下やウエットティッシュ、紙コップ、歯ブラシ、電池などの生活用品とともに同市に届けることを決めた。救援物資は25日午前8時に同町をたち、生活用品は同市にいる町出身者2人に直接手渡すほか、米と水は同市が指定する新里物資センターへ搬送する。

  佐々木委員長は「当時のことを私は鮮明に覚えている。大火の苦しい経験があるので、それを思い出すといてもたってもいられなかった。泊まる場所も着るものも食べるものもなく、それは今の宮古市の人たちも同じ思い。その時に受けた恩を今返すとき。皆さんの心がきっと宮古の人に届くだろう」と話した。


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