盛岡タイムス Web News 2011年 3月 26日 (土)

       

■ 津波被災の現地へ 宮古市ルポ

     
  宮古市金浜の国道45号と三陸縦貫自動車道交差部。山田線の線路(写真手前)が津波でずれ落ちた  
 
宮古市金浜の国道45号と三陸縦貫自動車道交差部。山田線の線路(写真手前)が津波でずれ落ちた
 
  家族や友人の命、家と生活、思い出。海は一瞬で奪い去った。経験のない大波が沿岸住民を襲った。24日、宮古市へ行った。内陸に暮らすわたしたちに何ができるのか。取材を通じて考えたかった。がれきや大破した建物など津波の爪痕が残る被災地で、重い鉛を胸に抱いて生きる被災者の姿を見た。(大崎真士)

  ■離れたくない

  津軽石は宮古湾の最も奥、重茂半島付け根に位置する。ふ化場で育ったサケの稚魚が中津川に放流されたこともあり、盛岡でもなじみが深い。

  海から1`弱にあるJR山田線の津軽石駅。11日午後2時46分着の2両編成の列車から、乗客乗員が地元住民と津軽石小学校へ逃げた。波は津軽石川を伝って堤防を突破。校庭まで達した。避難者はさらに裏山へと駆け上り、列車が波に揺られて動くのを見た。

  「列車が走り出していたら」。上り方面の線路は、津波の威力ではぎ取られていた。

  駅前に住む70歳女性は山田町から嫁いで45年。木造2階建ての住居は築80年以上だが、津波による倒壊を免れた。女性は日中避難所から家に戻り、泥をかぶった家財道具を外に出し、掃除をする毎日が続く。

  「ここを離れたくない。仮設住宅は全壊した家が優先で、屋根がなくならないと借りられないと聞いた」。避難も長期化し、住まいへの心配がよぎる。

     
  津波で持ち上げられ、山田線津軽石駅に放置された列車  
 
津波で持ち上げられ、山田線津軽石駅に放置された列車
 
  ■わたしの家が…

  市北部の田老。津波は堤防を越え、数百b先まで到達。避難者は山へ登り、難を逃れた。

  堰代裕三さん(80)とキチさん(77)夫妻は避難所の宮古北高校から田老総合事務所前の自宅まで、がれきの撤去作業を見に来ている。ロープを使って三陸鉄道の線路を渡り、往復している。

  キチさんは「高校も生徒が登校するようになり、仮設住宅に移りたい。雇用促進アパートに移る話もあるが、高い階には住めない。東洋一の防波堤も越えたし、ここに住むのは恐ろしい」と、撤去作業を見守っていた。

  「今一番困っていること?分かんないね。こんな目に遭ったことないから想像つかないよ」。田老漁協向かいに家のあった68歳男性は高さ4・2bと書かれた堤防の上に立ち、辺りを見渡した。

  複数の住家が1階部分を波でえぐられ、残った2階部分は別の場所に漂着していた。そう男性は説明すると、指さして「そこがわたしの家なんだけどね」と淡々と語った。

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