盛岡タイムス Web News 2011年 3月 27日 (日)

       

■ 釜石から200人盛岡へ つなぎ温泉「愛真館」に

     
  つなぎ温泉「愛真館」に到着し、出迎えを受ける釜石市の被災者たち  
 
つなぎ温泉「愛真館」に到着し、出迎えを受ける
釜石市の被災者たち
 
  東日本巨大地震で被災した釜石市の市民が26日、一時移送先となる盛岡市繋のつなぎ温泉「愛真館」に到着した。201人(午後7時現在)が用意されたバスのほかマイカーで避難所などから盛岡入り。慣れ親しんだ古里の土地や人と離れ、仮設住宅設置までの2、3カ月間滞在することになる。足腰の不自由な高齢者のほか幼児も多く、盛岡市は保健師や市立病院に指示して期間中の支援に当たる考え。同日は山田、大槌両町からも108人が雫石町の鶯宿温泉2カ所に到着。盛岡市では今後300人規模の受け入れも予定されている。

  被災者は大型バス6台とマイカー約20台で釜石市内の各避難所などを出発。午後2時40分に最初の被災者家族がマイカーで、同4時過ぎにはバスの第1便が到着した。

  谷藤裕明市長、つなぎ温泉観光協会(佐藤義正会長)の役員、女将らが入り口で被災者を出迎えた。横断幕を掲げて「ゆっくりしていってください」と声を掛けた。愛真館では約80室を確保。家族単位などで生活できるよう対応している。

  県によると、22日時点の受け入れ予定の被災者数は277人だった。その後釜石にとどまりたいと断る人たちも出た。体調がすぐれず今回盛岡行きを断念した人もいたようだ。盛岡へ移った多くの人に避難所生活の疲れが見て取れた。

  釜石市立甲子中学校に避難していた高清水一利さん(36)は妻と小学6年の長男、同4年の長女とバスに乗ってきた。「家は海から3`ないぐらいの距離だが形もなくなった。片づけようもないが離れるのも心配だった。中学校は家から車でも30分かかり、移動するのも大変。それならばと思った」という。

  しかし、義母が亡くなり、義父は「やることがある」と盛岡行きを辞退。高清水さんは「情報は釜石にいるときと変わらないようにということだったが、どうなるか分からない」と不安を隠さない。

  同じく甲子中が避難先だった辻良子さん(18)は両親と兄、弟と4人の家族5人で盛岡に。「ストレスはなかったけど、避難所はプライバシーみたいなものがなくて。ペットの犬と猫5匹がいなくなったので探したかった。おばあちゃんはやることがあるから行けないと言った」。

  津波で携帯電話が流され「友達が亡くなったけど、葬儀に行くための連絡も取れなかった」と悔やむ。青果市場で働いていたが辻さんを含め全員解雇されたという。

  佐藤会長は「温泉にゆったりつかり、足を伸ばして寝て震災を受けた心と体を癒やしてほしい。協会としても暖房用の重油、従業員のガソリン、提供する食材確保が思うに任せない面もある。充実したものといかなくても家庭のおまかない料理を振る舞えれば」と被災者を案じていた。

  谷藤市長は「今まで大変厳しい環境で生活してこられた。ゆっくり疲れを取って、それから今後のことを考えてほしい。子どもも多く学校のこと、高齢の方は健康関係のこともある」と話していた。

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