盛岡タイムス Web News 2011年 3月 28日 (月)

       

■ 〈被災地リポート〉釜石 「きっと立ち上がる」

     
  津波被害を受けた釜石市中心部  
 
津波被害を受けた釜石市中心部
 
  釜石の町はまるで廃虚の戦場だった。自然の脅威に正面から立ち臨んだ都市が、格闘の痕跡をを隠さずにとどめている。それは現代文明の象徴のようにも見受けられた。だが、被災した市民は、がれきの中で暖を取りながら復興への強い思いを募らせていた。下を向かず、前を見て進もうとする人の姿を見た。(佐々木貴大)

  ■只越町など海側の市街地

  釜石駅から東側は津波で壊滅的な被害を受けた。被害想定区域を大きく越えた地点まで津波が到来。大町、只越町は波にのまれ、中心市街地や魚市場の建物や車両、電信柱が根こそぎ押し流された。

  現地では重機によるがれきの撤去作業が始まっている。主要道はがれきを両側に押し寄せて通行路を確保、交差点で警察などが交通整理を実施している。記憶の中の風景はどこにも見いだせない。目的地に向かうのはどの角を曲がればいいのか、見当もつかない。まったく見知らぬ初めての町になっていた。

  甲子川の南側に積まれたがれきの山の脇に、撤去中に見つかったものかアルバムやトロフィー、卒業証書の入ったかごが置かれていた。泥水につかった思い出の品々は、流され失われることなく持ち主に引き取られるのを待っている。

  津波は市街地中心部よりさらに山側、大只越町まで到達した。同町の釜石パンションで働く長瀬裕子さんは「地震が起きて避難場所になっている青葉公園に子供たちと避難した。ワンセグで津波が来るライブ映像が流れ、ふと見たら新日鉄の塀沿いに水が車や家の屋根を押し流しながら路地から出てきた。あわてて山の上に逃げた」と当時を振り返る。

     
  2階まで津波に洗われた釜石市の中心部  
 
2階まで津波に洗われた釜石市の中心部
 
  水が引き、パンションを炊き出しの拠点として使用しているという。「泣いて過ごそうが笑って過ごそうが1日は1日。あるお母さんが言っていたが、私たちは難民ではなく避難民。今は避難しているだけ。きっと立ち上がれる」と復興への思いを語った。

  ■中妻町など山側の市街地

  駅より西側には津波が到達せず、ガラスの破損など地震の被害が主だった。電気や水道も一部で復旧し、店舗も多くが営業を再開。避難所や対策本部なども多くがこの地域に設置され、市民体育館などに被災者が収容されている。

  中妻町に本店を置く洋菓子店、かめやま(亀山弘能オーナー)は震災9日目の20日から営業を再開した。「営業を再開していいのか迷った。おにぎりの生活ももちろん十分。震災から2週間がたち、精神的に甘いものが必要になってくると思う」と話す。

  同店ではケーキを通常より安い200円均一で販売するほか、オーナーが「20年ぶりに焼いた」というパンも販売している。「こういうときだからこそ、ケーキを買ってくれた、持ってきてくれた人の思いやりというのが子供たちにも伝わる。食材の続く限り、原料の続く限り、元気の出るケーキを作り続けたい」と話した。

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