盛岡タイムス Web News 2011年 3月 30日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉222 伊藤幸子 「口述筆記」

 消息の絶えゐし生徒避難所よりわれの安否問ふ明るき声に
                            佐藤千廣

  震災より九日目の早朝、電話が鳴った。「ああ、生きていましたか?」というお声。今ほど切実にひびくこともなかろうと思うありがたさで心にしみてくる。いわき市在住の高校の先生。定年後私立高校の講師をつとめられ、地震のときも授業中だった由。氏のご自宅は津波は来なかったといわれるが、原発事故のため自宅退避させられているという。

  電話が通じたのが奇跡と喜ばれ、氏の町の郵便局は機能していないので、短歌作品を東京に送れない。なんとか締切日までに届けたいので岩手経由で出してもらえないかとのこと。すぐさま電話口での口述筆記が始まった。

  「瓦礫分け拾ふ写真に笑む兄は行方不明なり津波去りて三日」「壊滅の街の異臭の中ゆけば行方わからぬ兄のまぼろし」「段差、地割れ、潮の匂ひの残る道初心者のごとハンドル握る」4Bの鉛筆で書き取りながら涙があふれる。

  十首、声のままにひたすら書き、復唱する。この間五分ぐらいか。きょうは退避といったって肉親の安否が心配だから探しに行くと言われて携帯電話は切れた。

  私は急ぎ清書をすませ、申しつかった通り「大震にて通信郵便が不能になり、岩手の友人に送稿依 頼しました」との文言を添えて地震詠草を八幡平郵便局より投函した。

  まだ何度も余震があり、テレビは全局大震の惨状を映し出す。思い余ってテレビを消し、佐藤千広歌集二冊を読み始めた。「風樹」のあとがきに胸を打たれる。「短歌について父と話ができたのは、死の寸前であった。妻を喪った悲しみを詠んだ歌を、私が書きとめた時である。『歌は二度も聞いたら書きとめられなければだめだ』と叱られた。父の若き日のように、同じ国語教師の道を目指す私に期待をかけてくれたのだと思う。…」なんと哀切な口述筆記。

  氏は「神官の子に生まれ来て神木の実を拾ひては飢ゑをしのぎつ」ともあるように由緒ある立鉾(たてほこ)鹿島神社のお生まれで、剣の達人としても知られる。「雲間よりすぢ引きてひかり降る畑にあかく熟れたるトマトを●(手偏に宛)ぎぬ」「温暖化汚染の地球あかあかと今年最後の満月照らす」等、氏の丹精こめた家庭菜園も突然の放射能汚染に悲鳴をあげている。国も狭(せ)にあまりにも温暖化や原子の火に頼りすぎたようだ。「うつとりと春を頬張る思ひもて桜餅食む日向の縁に」こんな穏やかな日が、なんでもない日常が恋しくてたまらない。
(八幡平市、歌人)



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