盛岡タイムス Web News 2011年 4月 2日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉205 岡澤敏男 藤布衣のタネリと鮭皮衣のタネリ

 ■藤布衣のタネリと鮭皮衣のタネリ

  前回のコラムには詩篇「白い鳥」の一部を抜粋しましたが、省略した後段には日本武尊(倭建命)の伝説が挿入されているのです。これは詩篇「風林」における「エグモント」序曲と共鳴するもので、亡妹トシの魂魄に対する賢治の隠喩的な詩章なのです。
 
  (日本武尊の新らしい
  御陵の前に/おきさき
  たちがうちふして嘆き
  /そこからまたまた千
  鳥が飛べば/それを尊
  のみたまとおもひ/蘆
  に足を傷つけながら/
  海べをしたつて行かれ
  たのだ)
 
  この詩章は『古事記』中巻(景行天皇記)に登場する伝説的英雄である日本武尊(やまとたけるのみこと)説話に関連するものです。尊は父天皇の命により九州の熊襲・出雲建を平定し東国の蝦夷を鎮定しての帰路に近江の息吹山で白い猪(山の神)とたたかったとき病気になり伊勢の能褒野で死去するのです。

  その地に御陵を作り后らが悲しんでいたところ、尊の魂魄が大きな白い鳥(白千鳥)となって飛び立ったという「白鳥陵」の故事を語り、白い鳥(亡妹トシ)と「蘆に足を傷つけながら」慕って行く后(賢治)を隠喩させ、亡妹トシへの激しい追慕の思いを表明しています。

  この詩には自殺した恋人クレールフェンの魂魄に祝福され力強く刑場に赴くエグモント伯爵の故事を挿入した「風林」とともに、賢治がトシの死を悼む悲傷の根底に歴史的ロマンの隈取りというものが察知されます。

  童話「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」もまた歴史的ロマンを感じさせる作品といってよい。

  この童話は悲傷とは無縁だが、発想のどこかに『古事記』の説話の匂いが漂ってくるのてす。それは中巻の応神天皇記にある逸話で、天之日矛(あまのひほこ)の娘の伊豆志遠豆売(いずしおとめ)をめぐる兄神の秋山の下氷壮夫(あきやまのしたひおとこ)と弟神の春山の霞壮夫(はるやまのかすみおとこ)と競った面白い求婚譚です。

  ある日、兄は弟に「私は伊豆志遠豆売と求婚したいが断られた。お前ならばこの乙女が得られるか」と言うと、弟は「私ならた易く得られよう」と答え、それを母神に告げると、母は藤葛をとって一夜のうち藤の下着・衣服から弓矢まで織りそろえてくれた。弟はそれを身につけ弓矢を帯びて乙女を訪れると、その衣服や弓矢の藤がいっせいに花を開かせ首尾よく乙女と結ばれることができたという。

  この説話は柏の樹に「葉守りの神」が宿るという信仰があるように、藤の木にも霊力があって藤布の衣服を着ていると悪霊から身を守るという古代のロマン信仰なのでしょう。

  また「サガレンと八月」の童話との関連で、『古事記』上巻の「火遠理命(ほをりのかみ)記」にみられる海幸彦と山幸彦の伝説も発想のなかに投影されていたのかも知れない。

  というのは山のタネリの母親は、藤蔓の内皮繊維で藤布を織って子どもに藤布の衣服を作っていたし、海のタネリの母親は、乾かした鮭の皮を継ぎ足し上着をこさえて子どもに鮭皮の衣服を着せていた衣服フォークロアが偶然にも一致する点に注目されるのです。

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