盛岡タイムス Web News 2011年 4月 2日 (土)

       

■ ボランティアが宮古山田へ被災家庭の片付けに 盛岡北高野球部員も

     
  宮古市津軽石地区の家屋でボランティアをする盛岡北高野球部の部員  
 
宮古市津軽石地区の家屋でボランティアをする
盛岡北高野球部の部員
 
  東日本大震災津波から3週間過ぎたが、沿岸部の被災地ではいまだにがれきの山が残っている。かろうじて家屋が残った家庭でも津波が運んできた泥やがれきの撤去作業に人手が足りていない。こうした中で3月31日、宮古市と山田町へ市民による災害支援ボランティアが駆け付けた。

  リアス観光(本社・宮古市)が募集した災害支援ボランティアで、県内をはじめ神奈川県や群馬県からのボランティアも含め86人が参加した。当初予定していた定員の35人を大きく越え、急きょバスを2台に増便。参加者は同社が用意した無料の貸し切りバスを使って盛岡市から現地まで移動し、宮古市津軽石地区と山田町長崎地区に分かれて作業を行った。

  このうち宮古市津軽石地区では盛岡北高校野球部の部員やマネジャー、盛岡峰南支援学校の職員らが活動。高齢者宅や病院などに手伝いに入った野球部員らは、自慢の体力を生かして畳や机、床の泥などを手分けして次々と外に運び出した。

  同地区の箱石功治さん(61)、ハナさん(59)の自宅は、津波により1階の天井を越えて2階の床付近まで浸水した。特に1階の部屋は窓ガラスなどを破って大量の泥が入った。20日ころからようやく家の整理を始めたが、畳は水や泥で重く、押入に入れていた衣類や布団も水を吸ってとても移動できる状態ではなかった。

  功治さんは「周りのものを片づけるのが精いっぱい。ここはお年寄りがいるところが結構ある。このくらい片づけてもらっただけでもかなり助かる。本当にありがたい」とボランティアに感謝した。

  野中大貴君(盛岡北高2年)は「内陸は比較的被害が少なく、高校生で体が動くので協力できればと参加した。テレビでは見られない細かいところに実際に入ってみて、被害がさらに大きく深刻だと感じた。力仕事が多いので高齢の方はかなり苦労すると自分たちがやってみて思った」と話した。

  盛岡峰南支援学校の小林康子さん(28)は、宮古市で働いていたこともあり何か自分にできることがあればと参加を決めた。「知っている場所だったのであるべきものがなくて、言葉にならなかった」と見慣れた景色の変わり果てた様子にショックを受けていた。「私が1回来てできることは本当に小さなことなんだと思った。やるならもっと長期的に続けていきたい」と話した。

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  山田町長崎地区でたばこ屋を営む山崎政子さん(72)も、津波で店舗兼自宅の1階部分が2bほど浸水した。店内からさまざまなものが運び出されて行く様子を見ながら「すごく悲しいけれど、それでも頑張らなければ。私たちは家が残っているからまだ幸せ。みんなが待っているから店もやめられないね」とこの地での再興を誓った。

  ボランティアが泥をかぶったアルバムを一冊ずつ丁寧に水ぶきし、広げて乾かす姿に何度も頭を下げ感謝。流された家財道具の中から琴の譜面などを見つけ、少し笑顔も取り戻した。「すっかり良くなったらまた遊びに来てね」。ボランティアに声を掛け、再会も約束していた。

  リアス観光では震災後、山田町から盛岡への輸送された患者を見舞う家族を乗せた無料バスをボランティアで運行。その後も、グルージャ盛岡の選手と従業員で宮古市、山田町で被災した家屋の泥やがれきの除去作業を行ってきた。今月から通常の業務に戻り、最後に市民ボランティアを輸送するための無料バスを運行した。

  同社の大久保長福代表取締役は「どんな大きな災害だったか、皆さんの目にしっかり焼き付けて帰ってほしい。被災地では道路などでみんな下を向いて歩いている。物を片づけるよりも、私たちボランティアは声掛けから始めてほしい」と話した。

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