盛岡タイムス Web News 2011年 4月 3日 (日)

       

■ 物資供出し合い食料公平分配 大槌町吉里吉里地区に自治組織生まれる

     
  吉里吉里地区災害対策本部(左から東谷寛一本部長、芳賀正彦、芳賀衛各副本部長)  
 
吉里吉里地区災害対策本部(左から東谷寛一本部長、芳賀正彦、芳賀衛各副本部長)
 
  大槌町吉里吉里地区は776戸。町内でも規模の大きな集落だった。避難所には吉里吉里小、中学校などが割り当てられているが、被害を免れた個人宅にも親戚や知人が身を寄せる。避難者総数は2千人以上に上る。地域では住民自治による災害対策本部が立ち上がり、支援食料などを住民に公平に分かち合う集落ぐるみの自助体制が作られている。(荒川聡)

  ■甚大な被害

  1933年(昭和8年)の三陸大津波で被害を受けたことを教訓として、吉里吉里地区では津波を想定して三陸大津波で被害を受けなかった場所へ新たに中心部が形成された。

  しかし、今回は想定をはるかに上回る規模の津波に見舞われた。被害は全壊279戸、半壊29戸。死者、行方不明者は86人。

  災害復旧副本部長の芳賀衛さんは「三陸大津波後に造成された場所まで津波は来ないだろうと思っていた人も何人もいた」と話す。

  大小合わせて200隻の漁船のうち残ったのは1隻だけだった。水揚げの大半を占める養殖もワカメ、ホタテ、カキすべて壊滅状態。生活基盤を奪われ、経済的にも甚大な被害となっている。

     
  大津波で見渡す限りがれきとなった吉里吉里地区  
 
大津波で見渡す限りがれきとなった吉里吉里地区
 
  ■ライフライン復旧せず

  電気、ガス、水道、電話すべてのライフラインがストップしたままの中で、住民自治による災害対策本部は機能を果たしていた。

  構成するのは吉里吉里小学校を中心に地区内の4町内会、消防団ら。本部長は養殖漁業者の東谷寛一さん。吉里吉里小学校には災害対策本部が置かれ、自治体のような機能を備えている。外部との連絡手段は1台の衛星電話と消防団の無線。「外部の情報を知るのは届けてくれる新聞が頼りになっている」という。

  助け合いは震災が発生した11日の夜から始まった。地元の企業が自家発電機を提供した。東谷さんは「電気を小学校体育館に付けることができて、そのおかげで落ち着いた避難所生活のきっかけができた。その日のうちに住民同士で話し合い、本部が設置された」と話す。

  全壊したコンビニエンスストアのオーナーから住民のために在庫の飲料水が提供された。被害を受けたガソリンスタンド経営者は地下タンクにある石油製品を、米穀店は米をそれぞれ無償で提供した。

  石油製品は電気がないためポンプアップする機材が必要だったが、技術を持つ住民が、がれきの中から材料を選んで手動ポンプを組み立てた。物資の輸送に欠かせない道路の復興も建設会社の稼働可能な重機を活用して地域住民の手で行われた。

  「物資や労力だけでなく知識も技能も出した。公助は頼りにできないので自助だけでやってきた」と東谷さん。

  がれきの中から行方不明者の捜索にも住民たちが加わっている。東谷さんは「自分も海で養殖しているが大津波以降は一度も海に行っていない。船もないし家も流された」と話す。長年漁業をして生計を立てている東谷さんにも津波は大きな恐怖感を植え付けた。

  吉里吉里小は支援物資の貯蔵拠点になった。食料の配分について芳賀正彦副本部長は「プロパンガスが残っている家には生米を配り煮炊きして食べてもらい、おにぎりがほしい人は小学校で提供している。カップラーメンをはじめとしたいろんな食料品はまとまった都度、各町内会を通じて配布している」と説明する。

  食料が安定して届くまでは一口で食べられるような小さなおにぎりが1日2個という日が何日かあったという。

  現在不足しているのは文房具、紙、プリンターのインク。住民間で連絡調整には欠かせない。灯油の供給は震災後2度あったが避難所で賄える程度、ガソリンの供給は全くない状況という。

本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします