盛岡タイムス Web News 2011年 4月 6日 (水)

       

■ 〈東日本大震災津波〉海と陸地が逆転した日 大槌町で被災の中村さんが撮影

 その日、海と陸地が逆転した。防潮堤の内側で満々と海水に満たされた陸地、底を見せた海側。水面上で立ち上がる炎と煙。大槌町白石地区の中村達雄さん(69)が、その様子をカメラに収めていた。「電池がなくなるまで撮り続けた。悲しさとあきらめしかなかった」と話す。中村さんはいま、紫波町の志和公民館に避難している。

  その時間、中村さんは自宅にいた。地震の揺れで家中に書籍や置物、食器などが散乱し何がどこにあるのか分からない中で、手元にあったデジタルカメラを握りしめて避難した。津波と火災で町の中心部が消えていく光景を撮影し続けた。

  白石地区は釜石市境で大槌漁港の入り口。漁港を挟んで対岸には吉里吉里半島、町の中心部が一望に見える位置にある。

  中村さんの家は高さ7bの防潮堤から200b離れた場所にあった。家の外に出ると津波が見えてきた。「津波は防潮堤を乗り越え、船が住宅街に流れ込んできた」。慌てて裏山に逃げた。

  漁港に面して形成されていた住宅街は海の水で満たされた。引き波になると、海側が底を見せたが、陸地側は海水が満たされた状態。海と陸地が入れ替わったような光景になった。

  自分の家も目の前にあった。「屋根が浮いたと思ったら、壊れないで流れていった」という。

  津波が収まったときにはがれきすらなくさら地が広がっていた。「がれきがあるところはまだまし、自分の物を探せるから。きれいさっぱり持って行かれて何もない」。津波は5度ほど押し寄せた。

  漁港は破壊された建物のがれきで埋まった。町中心部は炎に包まれた。「橋が陥没して戻れなくなった消防団員とたき火をしながら一晩過ごした。中心部は夜通し燃え続け、私のカメラで端から端まで炎がつながった時もあった。翌日、80歳くらいの女性が体調を崩したので、消防無線を借りてヘリを呼んでもらい、みんなして毛布に包んでヘリまで運んだ」。長い1日だった。

  中村さんは水が引いた後、山伝いに歩いて避難所のある吉里吉里小学校に到着した。この間も撮影を続け、カメラの電池は3日目で切れた。「無意識にカメラを手にしたのは記録に残したいということだったと思う。カメラを手にする時間がよくあったなとみんなに言われる。2日に大槌に行ってきた。吉里吉里のがれきは木が多いが、中心部のがれきは鉄くずだった」。


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