盛岡タイムス Web News 2011年 4月 8日 (金)

       

■ 〈胡堂の青春育んだ書簡群〜学友たちの手紙〉19 八重嶋勲 謹賀新年、併高 堂之万福を祈ル

 ■長谷川愛男

  35 はがき 明治三十二年一月一日付
宛 岩手県盛岡市四ツ家町猪川方 野村長一君
発 東京都赤坂氷川町七 相羽方 長谷川愛男
謹奉賀新年
併堂之万福を祈ル
尚平素之疎遠を謝ス
巳亥 元旦
   東京赤坂氷川町七
     相羽方 長谷川愛男

  【解説】紫波郡彦部の定内屋敷の出身者で警察官吏、花巻において綿商を営み、後彦部の川前に移った、と『彦部村郷土誌』に見える。「巳亥」は、明治32年なので1年前の年賀状である。
 
  ■後藤清造

  36 はがき 明治三十三年一月一日付
宛 盛岡市四ツ家町猪川塾生諸君御中
発 石鳥谷 後藤清造
恭賀新年
明治三十三年正月元旦
   石鳥谷 後藤清造

  【解説】長一の紫波高等小学校時代からの友人。明治35年盛岡中学卒、長一と同期。後に日本電力黒部鉄道取締役となった実業家。弟清郎は岩手日報社を興した。
 
  ■渡辺勉

  37 封筒のみ 明治三十三年二月十九日付
宛 盛岡市四ツ家町猪川先生方 箕人庵御中 硯北
発 空瓢庵 瓢兮(渡辺勉、瓢兮)
(封筒のみで中身なし)

  【解説】封筒のみで中身がないのは誠に残念である。浦田敬三氏労作の『啄木その周辺 岩手ゆかりの文人』に、渡辺勉、瓢兮の記述がある。

  啄木主幹の「小天地」(明治三十八年九月)俳句欄冒頭に掲げられ、その後「岩手日報」や「岩手毎日新聞」の文芸欄にしばしば登場する人に渡辺瓢兮がいる。

  大正4年発行の「朔風」誌「岩手県文芸家録」に「渡辺瓢兮、俳句を作る。江刺郡米里に生る」とあるだけのこの人が、啄木日記(賀状発送名簿)にみえる渡辺勉であることがやっと確認することができた。

  渡辺瓢兮の文学的出発は、明治32年秋杜陵吟社とともに歩み始める。小笠原迷宮の「岩手文壇側面観」によれば、「野村菫舟、岩動露子、佐藤雲件らによって誕生した杜陵吟社に渡辺瓢兮、古木杏子、中野掃雪、阿部三柊、岩動炎天等加わり、『日本』『ホトトギス』『俳星』…等新派俳句の各雑誌に作を投じ、青森、宮城及び秋田を連合して俳句大会を開く等、俳句を中心として岩手文壇破天荒の活動を起こしたり」と記されている。瓢兮・渡辺勉は現在の江刺市(現在の奥州市江刺区)「米里字人首町三九を本籍として、明治三十五年二月十五日に生れる。明治三十三年三月、盛岡中学校第十四回生として卒業する。(以下略)」とある。長一と同年齢。2年前に卒業している。杜陵吟社で共に俳句を作り活動していたことがわかる。また、盛岡中学校同窓会会員名簿に「元人首村助役、電通社員」と見える。

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