盛岡タイムス Web News 2011年 4月 9日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉206 岡澤敏男 妖しい「鑵鼓の蕩音 」

 ■妖しい「鑵鼓の蕩音」

  童話「サガレンと八月」は、大正11年8月に樺太へ1週間ばかり旅をしたときの体験から発想されたものとみられる。それはベーリング海に連なる水平線のかなたへと消えてゆく愛妹トシの魂魄を〈ナモサダルマブフンダリカサスートラ〉と、合掌しながら見送った栄浜のなぎさでのことだったのでしょう。

  この童話は6枚の洋半紙に書かれた未完成作品で、その3分の1には「枕」(導入部にあたる)部分があってそのなかに「はまなすのいゝ匂を送って来る風のきれぎれのものがたりを聴いてゐるとほんたうに不思議な気持ちがするのです」と述べて「風」がこの物語(童話)の語り部だったことを告白しているのです。

  しかも発想の源に「風」というキーワードが存在し、「はまなすの匂のいい風」という性格をもっていることです。ちょうどこの「枕」の部分と対比される性格をもつ「風」が栄浜で作られた「オホーツク挽歌」の詩の第二連にもみられ、「サガレンと八月」の「きれぎれのものがたり」を聴かせてくれた「風」の原点が栄浜のなぎさにあったとの推理を深くするのです。

  この第2連18行は「白い片岩類の小砂利に倒れ/わたくしはねむらうとおもふ」に始まりその末尾は賢治ならではの巧みな造語で表現されているのを見る。
 
  日射しや幾重の暗いそらからは
  あやしい鑵鼓の蕩音さへする
 
  この「鑵鼓の蕩音」という見慣れない語彙に、混乱する脳波が「鑵鼓」は何、「蕩音」とはどんなトレモロかと揺れます。「鑵」とは薬鑵、鑵詰が示すように金属製の丸い道具という語彙をもつ。また「鼓」とは胴に革を張った打楽器を意味するから、この2語を組合すとどうやらティンパニーという打楽器が思い浮かんで来ます。

  「この楽器は、釜形をした銅製または真鍮製の共鳴胴に革を張ったもの」(「新音楽辞典」)で2本のバチをもって演奏しますが、曲想によっては異なるバチを使いさまざまな音色、音質、音量を作り出すという。

  また「蕩」は多岐にわたる字義のうち「鑵鼓」がティンパニーだとすると「ゆらぐ、なみだつ」の語意がふさわしく、「蕩音」とは2本のバチで「どろどろどろ」と低音で連打するトレモロがイメージされてきます。

  賢治は大好きなドボルザーク「新世界」の第2楽章(ラルゴ)の出だしに連打される低音のトレモロなどを想起していたのかも知れません。それはちょうど歌舞伎の幽霊の出現を告げる「どろどろどろ」という黒御簾で奏される太鼓の「薄どろ」のトレモロに似ているのです。

  この「薄どろ」に通じるから「鑵鼓の蕩音」を「あやしい」と形容したと思われます。

  栄浜でトシの魂魄を見送り疲れ切った賢治は「サガレンの朝の妖精にやつた」透明なエネルギーを恢復しようと渚の小砂利の上に仮睡しようとしたとき、陽指しと暗さで幾重もの縞をつくっている「緞帳」(どんちょう)の空(黒御簾)から「あやしい鑵鼓の蕩音」が響いてきて、賢治の心象は「風のきれぎれのものがたりを聴いてゐる」ような不思議な気持ちになったのでしょう。

  するとタネリ少年の漁師小屋が忽然と現れ、小屋の外の草はらではタネリのおっかさんが、乾かした鮭の皮を継ぎ合わせて上着をこさえていたのでした。

  ■詩篇「オホーツク挽歌」(第二連)

  白い片岩類の小砂利に倒れ
  波できれいにみがかれた
  ひときれの貝殻を口に含み
  わたくしはしばらくねむらうとおもふ
  なぜならさつきあの熟した黒い実のついた
  まつ黒なこけももの上等の敷物と
  おほきな赤いはまばらの花と
  不思議な釣鐘草とのなかで
  サガレンの朝の妖精にやつた
  透明なわたくしのエネルギーを
  いまこれらの濤のおとや
  しめつたにほひのいい風や
  雲のひかりから恢復しなければならないから
  それにだいいちいまわたくしの心象は
  つかれのためすつかり青ざめて
  眩ゆい緑金にさへなつてゐるのだ
  日射しや幾重の暗いそらからは
  あやしい鑵鼓の蕩音さへする

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