盛岡タイムス Web News 2011年 4月 16日 (土)

       

■ 〈微笑みの国にて〉岩手県立大学教授 ウヴェ・リヒタ 

     
   
     
  2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震が起きて数週間の中で、世界中に見せた日本人の「微笑(ほほえ)み」は、日本列島の独特の自然環境と歴史発展の中から生まれたものだ。その「微笑み」は、社会的調和を得るための努力の表れである。福島原子力発電所で起きた災害はその調和と「微笑み」を、これからも維持できるかどうかの試練になった。

  日本で起きた災害の報道の中であなたもこんな場面を見たであろう。それは、津波によって家や船を失い、生活の場である港をも失った漁師が無残な光景を目の当たりにしながらも微笑んでいた姿である。その人はなぜ笑ったのか、自分に問いかけてみたことだろう。何もうれしいことはないのになぜ微笑んだのか。

  西洋において微笑みは、楽しい、うれしい、幸せの感情を示す。日本の笑は率直な感情の発露だけではなく社会的なエチケットのような役割もある。日本の子どもはいつも愉快な表情を見せるということを自然に周囲の社会から学ぶ。その微笑を若い世代に伝えるのは祖母や母親たちである。

  この世代の女性の微笑みは時には外国人観光客にとっても魅力的である。その日本の微笑みは内心の発露である。それは無意識に、誰にも見られていない状況でも浮かび上がる表情なのである。地下鉄に乗ろうとし、目の前で扉がしまった場合、失敗に対して日本人は微笑むのである。

     
  東日本大地震の被災者のために義援金またはほかの手段によって勇気を与えてくれたひとたちへの感謝をこめてごほうびに吉田陽凪多ちゃんの笑顔を送ります(東海新報2011年3月29日紙面から)  
 
東日本大地震の被災者のために義援金またはほかの手段によって勇気を与えてくれたひとたちへの感謝をこめてごほうびに吉田陽凪多ちゃんの笑顔を送ります(東海新報2011年3月29日紙面から)
 
  この微笑は幸せをあらわしたものではない。地下鉄に乗り遅れるということは誰にとってもうれしいことではないからだ。この微笑はあっさり物事をあきらめる表情である。この微笑みは葬式でも現れる。人が亡くなり、弔問客に遺族が穏やかに微笑みながら対応する場面に会ったことがある。微笑んでいるからといって悲しくないわけではない。この表情は個人の感情をおさえ周囲を心配させないという、より大きな社会的関係を考えてうみだされる。

  日本と近い文化をもつ中国と韓国はその点において異なる。中国と韓国の葬式では、儀礼的に泣くのである。そのため韓国人はそのような場面での日本人の微笑みに対し、畏敬の念に欠けていると考えるのである。

  この微笑の背景を考えてみよう。ひとつは日本の自然と社会的側面からのアプローチである。日本の国土の68・5%は居住に不向きな山林である。そのため1億2700万人の日本人はドイツのバイエルンとバーデン・ヴュルテンベルグ州の合計面積の平地の上に暮らしている。

  そのために岩手の険しい三陸海岸の湾内の平地に1896年から4回にわたって津波にのまれた陸前高田市のような街が作られる。日本ほど自然の脅威にさらされる国は少ないだろう。年に10もの台風が接近し、火山、地震、津波もある。しかし台風の降雨による地すべり、洪水が引き起こされる一方で豊かな水によって日本の農耕が可能になっている。

  だから日本人は厳しい自然状況の中で負けることなく生きる努力をする。岩手の生んだ20世紀における偉大な詩人のひとり宮沢賢治の、日本の教科書でも広く知られている詩は法華経を思わせる表現ではじまる。「雨ニモマケズ(…)決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテイル」。

  もう一つは宗教と言葉からアプローチができよう。日本の文化の基調を成すのは仏教である。諸宗派ある仏教の中では、浄土真宗が中世から社会に強い影響を与えてきた。浄土真宗の開祖、親鸞(1173〜1262)はよくマルティン・ルターに比較される。両者は人間は、善行ではなく神の意思による慈悲によって救済されると説いた。(しかし、津波の被害者のため施しをすることによって救済される可能性が少なくなるとは誰も言ってないが…)

  浄土真宗の大多数の信者は平民である。平民によって支えられている浄土真宗は平和的で、より厳格な宗派との融和を試みた。それに対し、倫理の面であいまいすぎる、国との関係が密接すぎるとしてしばしば非難された。仏教の宗派に通じるのは万物は無常であるということである。

  言葉もまた仏教の強い影響を受けた。「させる」、「させていただく」という日本語におおい受動表現は、司馬遼太郎によると浄土真宗の影響だという。阿弥陀如来の慈悲によって「無事に帰らせていただき」、「寝かせていただいて」いるのである。あるおばあさんが新燃岳の火山灰を毎日外に掃きだしながら「もうやめていただきたい」と漏らす。

  もともと存在するのが難しいという意味の「ありがとう」は17世紀に現在の「感謝」の意味になった。また、「私」という漢字は個人という意味の単語であったが、後に17世紀に自分で自分を指し示す言葉になった。対照的に中国人は「我」としめす。「我」の字は武器を持った手が由来であり、独立した個人を表す。

  仏教の現世を否定する傾向は、日本に古来から存在する神道の思想によって和らげられた。神道は基本的に自然宗教である。自然には八百万の神々が生かされており、山、川、石、木に神々が宿っている。その神々の性質はユダヤ教やキリスト教のそれとは異なり、人間との関わり方も違う。一神教と多神教の違いである。

  日本の宗教を紹介する本にリンゴの木の幹にかかっている斧の挿絵がある。その意味とは、リンゴの木にも神は宿るがもし実らなければ切ってしまうことを示している。神道には世俗の利益を希う、非常にポジティブな面がある。つまり、日本人は宿命論者ではない。

  むしろストア派といえる。(徳と平静を重んじ、運命をコントロールすることはできないが望めば変えることができる、と考える古代ギリシャ哲学の一学派)。キリスト教文化圏では人間に対し神は怒り、また人間は神に不平をこぼすが、日本では親鸞以来、神は慈悲深いもの、仏にかわった。「災害を引き起こした元凶を責めようとはしない」と友人はいう。

  しかし、福島原発に関しては別だ。「目下の課題は事態の収束であり、責任問題は後の話となるだろう」。ドイツの新聞でよく使われる「黙示録的」や「悲劇的」といった言い回しは日本の新聞では使われていない。

  宗教と文化は違う。中国の天命という思想も日本には定着しなかった。ときの政権が無能化したとき、中国人が歴史上で起こしてきた反乱も日本人は知らない。(ランツ・レハールのオペラ、微笑みの国の中の曲、「常に微笑むのみ」はすばらしいが、その主人公は中国人ではなくて日本人であるべきだ)。

  神道では自然だけでなく、尊敬される人物も神として崇められる。中国の皇帝とは違い、日本の天皇は明治維新から敗戦まで、神として崇められていた。神を倒すことはあってはならないと考えられていた。近代以前から、ときの日本の支配者は天皇の権威を背景に、国家を統治してきた。

  これまでむしろ外国人に対し行われた東京都知事、石原慎太郎の発言を聞くと中国人の抵抗心が少しでも日本人にもあればいいと思うようになる。今回の被災は天罰で、我欲を洗い流す必要があると石原慎太郎は述べた。2000年4月10日石原氏は、大災害が起きた際それに乗じて“三国人”が暴動を起こす恐れがあるので警戒しなければならないと発言した。石原氏はこれを不法移民への発言と弁明した。今回も翌日には発言を撤回したが本音は消しようがない。

  石原は今回の東京都知事選で4回目の任期を得た。石原のポピュラリティのベースは支配者のような傲慢である。有権者は強いリーダーを求めて、彼の冷笑またはかみつくようにはっきりした物言いに強いリーダーシップを見る。石原は自分の政党を必要としない政治家である。

  石原氏は発言の内容ほどばかではない。津波の原因は大陸プレートであって天ではないことはよく分かっているだろう。2016年の東京オリンピック招致失敗などの失策も天の責任ではない。この知事は元は作家であり、1950年代後半、「太陽族」という享楽主義の隆盛を引き起こした小説「太陽の季節」の著者だ。石原が批判する現代日本人の我欲、エゴイズムのルーツは、彼の文学に既に見いだされたものなのである。

     
  原水禁ホームページより。http://peace-forum.com/gensuikin/news/100413.html  
 
原水禁ホームページより。http://peace-forum.com/gensuikin/news/100413.html
 
  石原というポピュリストは自分の政治目標を達成するために、外国人への恐怖と反感を煽り、また、日本精神と西洋の物質崇拝の対立というクリシェを利用するのである。ジャパンタイムスによると、外国人による略奪や女性に対する暴行のデマが被災地で流れたのは石原の発言の影響であろう。

  日本の封建時代のサムライ型社会では「三年に一度、片頬で笑う」という言い方があった。侍は政治的、軍事的意味を失って文民の役割を演じてきた。しかし、プライドと刀を持つ権利はあり、社会的生産力とは関わりなく、厳格な身分制度により君臨していた。

  ベルリンで原発反対のデモ隊が10万人集まったと思えば、東京ではたった300人である。しかし状況は今後変わるだろう。日本人にはここ数年、外国に批判されるばかりという認識が広まっていた。今回の災害で、海外からの“YOU ARE NOT ALONE”という連帯の意思は、日本人に勇気を与えた。ドイツの反原発運動のシンボル、「SMILY」は微笑みの国のためになるだろう。
  (この論文はドイツ各紙に投稿したものを本人が日本語訳したものです)

本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします