盛岡タイムス Web News 2011年 4月 16日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉207 岡澤敏男 チェブ・ウル(鮭皮の着物) 

     
  鮭の皮でつくった着物(「アイヌ・暮らしの民具」萱野茂・清水武男共著より)  
 
鮭の皮でつくった着物(「アイヌ・暮らしの民具」萱野茂・清水武男共著より)
 
  ■チュプ・ウル(鮭皮の着物)

  さきに「ふたりのタネリ」の項で、伊藤新一郎氏の〈当初はかなりの規模の作品として構想されていたもののようである〉との指摘に関心を持ったが、さらに〈昔話では、犯された禁止が招く苦難は、主人公のモラリティに対する単なる処罰ではなく、その所属集団での一人前の存在に成長する上で彼が経るべき必須の関門、いはば通過儀礼のごときものだ、ということであろう〉(童話「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」考)との考察は、中断された「サガレンと八月」のタネリ像を映し出すスポットライトのような至言と思われます。

  ところで、「サガレンと八月」のファーストシーンが、乾かした鮭(さけ)の皮を継ぎ合わせて上着をつくるタネリの母親だったことに注目したい。

  「鮭の皮」がこの童話のナゾを開くカギの意味をもつと思われるからです。鮭の皮で着物をつくるのは世界中でアイヌと赫哲族だけという記述が菅野茂氏の『アイヌ・暮しの民具』にみられる。

  中でもサハリンのアイヌの人たちが鮭皮を着物として多く用いると、更科源藏氏が『コタン生物記』で述べています。賢治は樺太の旅で実際に鮭皮で着物をつくるアイヌを目撃しているのかも知れません。

  鮭の皮で着物をつくるには、かなりの根気を要する仕事にみえる。更科氏によると、着物をつくるには鮭皮の鱗を内にして板に張り、3日ぐらい乾かしたものを束ねて収納し、秋に筋子の乾かしたのを水にうるかして潰し、鱗のついている鮭の皮の表に塗って三日ほど陰干しにする。そして乾いたら2、3枚ずつ巻いて縛り、丸太の1か所を凹ましたところに乗せて槌でたたき、柔らかくなったら小刀で鱗をそげおろし、これを縫い合わせて着物にするという。

  その場合、子供の着物で30枚、大人のもので50枚の鮭皮を必要としたといわれます。タネリの母親もこのように乾かした鮭皮の30枚でタネリの上着を継ぎ合わせていたのでしょう。

  この鮭皮の着物をアイヌは「チェプ・ウル」と呼んでいる。また鮭の皮で靴もつくるが、産卵場にいる背びれの先が少し白くなりかけたほっちゃれの雄鮭の皮が用いられたという。鮭皮の靴を「チェプ・ケレ」と呼んでいる。

  アイヌの人たちには、食べ物は神様からの授かりものという観念があり、なんでも捨てるものがないくらいトコトン活用する。鮭では「内蔵をとって生のまま食べたり、蕗の葉に包んで埋めた上で焚き火をし、蒸し焼きにして食べたりするが、余ったものは乾燥させて貯蔵食糧として保存した」(『コタン生物記』)という。

     
  鮭皮の靴(「アイヌ・暮らしの民具」より)  
 
鮭皮の靴(「アイヌ・暮らしの民具」より)
 
  また、尾鰭もエラも細かく刻んだ中に、肝臓の焼いたものや氷頭、エラの軟骨、白子を入れエゾネギや塩を入れたものを酒の肴にするくらいなので、鮭の皮もまた大切にして着物や靴にして活用するのです。

  この作品は、「クラゲで物をすかしてみてはいけない」という母親の警告をタネリが好奇心から戒めを犯してギリヤークの犬神に拐(さら)われ、蟹(かに)にされチョウザメの下男になるところで中断している。

  いはば犯された禁止がタネリに与えた苦難のほんの始まりだったのです。禁忌を犯したタネリの苦難は、チョウザメの下男となったのちどのような苦難の曲折を堪えぬいて行くのか。そうして一人前に成長したタネリがいかにして母親のもとへ無事に帰ってくるのか。それが中絶したこの物語に予想される下書きの見取図なのでしょう。


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