盛岡タイムス Web News 2011年 4月 18日 (月)

       

■ 〈幸遊記〉15 照井顕 小山忠五郎の魚濫観世音 

 気仙沼市の「宮城の名工で銅版打出しの第一人者・小山忠五郎」さん宅に、何年かぶりにおじゃましたのは2010年11月のことだった。久しぶりの再会に顔をくちゃくちゃにほころばせ迎えてくれた彼も73歳になっていた。

  父が創業した「ブリキ屋」を子ども達が一心銅(同)体になって、「小山金属板金工業」へと家業を発展させた仕事一筋一丸の努力者。忠五郎さんの父は大五郎という名。1970年73歳で亡くなったのだが、その命日は父が叙勲を受ける日だったらしい。

  小学4年から板金のハンダ付けを手伝い、中卒以来、大人になっても酒・たばこ・バクチにいっさい手を出さず、仕事のかたわら、朝・夜・休日を返上し銅版打出しに熱中。ほかに一から十まで全て銅版製のお宮、寺院、五重塔など十指をこえる建造物も制作。自宅の庭にそびえる五重塔などは高さ7b、7000枚の瓦葺(ぶ)き、瓦は3a角の銅版でできており10坪の屋根が葺ける量、塔全体に使われた銅版の総重量は1dにも及ぶ。制作年数6年。しかもその建築は宮大工が虎の巻とする「実用差金宝典」を元に設計図を書きステンレス塊で型をおこし、瓦や銅柱、垂木などを一つ一つ作る気の遠くなる作業。

  家の中に安置されているいろんな観音様の打ち出し像もその出来の美しさから、毎日近隣の人たちがお参りに訪れて、その観音様をなでて行くのだと言う。だから観音像の全身が鈍色の光を放っているのだった。

  縁側に置いてあった銅額装の打出し「魚濫観世音像」を僕に渡し、「盛岡の店さ持ってってけろ」と言った。魚濫観音とは三十三観音の一つで、何種類もの形態があるようですが、小山さんの打出した図柄は「葛飾北斎」が描いたものを参考にした仏様。巨大な鯉(こい)に似た魚の背に衣姿の観音様が立ち、まるでサーフボードのように、魚を操って波に乗っている姿なのだ。

  数年前、宮城県庁内で行われた「宮城名工展」で、ただ一人実演を頼まれ2時間内に打ち出した作品だったと言う。「盛岡に持って行ってけろ」。まるで津波を予知してたかのような言葉だった。
(開運橋のジョニー店主)


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