盛岡タイムス Web News 2011年 4月 19日 (火)

       

■ 〈不屈の意志〉昆松・昆茂社長に聞く 見直された地域店舗

     
  震災後の状況について話す昆社長  
 
震災後の状況について話す昆社長
 
  矢巾町高田の昆松の昆茂社長に東日本大震災津波に伴う小売店の対応について聞いた。同社は地場のスーパーを経営し、石油、ガスなど燃料を販売している。震災後に大型店が軒並み休業した際は、地域の小売店に客足が戻ったという。燃料事情がひっ迫した際には、日常生活を維持できるよう顧客に満遍なく行き渡るよう心がけたと話す。(鎌田大介)

  -3月11日の震災後の状況は。

  昆 工場のラインが止まり流通が止まった。そのあとガソリンスタンドが停電でストップし、配送ラインが止まり仕入れに苦労した。わたしたち小さいところの仕入れルートはあった。包装資材がなくなり店頭に「マイバッグをお持ち下さい」と張り紙を出したら、お客さんが取り置きの袋を持って来てくださった。

  商品がなくなる中、今まで1日100人しか来られなかったとすれば、300人来る状況で、狭い店内に並ばれた。被災地に行くのでコメが欲しいという方がいた。いつもなら1日1、2俵しか売れないのが、この期間は何俵も売れる状態。江刺の生産者から3回ほど取り寄せて供給した。停電で工場がストップしたり、スタンドの給油ができない、流通できないが故に油も入ってこないという輻輳(ふくそう)した形で、あらゆる所に影響があった。頑張ってお役に立てたかと思う。落ち着いたと思ったら7日の余震があって、また一瞬同じようなことがあったが、次の日には平常に戻った。

  大震災は想定外だが、一部に供給が多くなった業者があると思う。わたしたちはバナナ加工の卸部門をやっている。バナナはすぐ食べられるので喜ばれてすぐ売れた。横浜からの輸送が少し滞り、順調というくらいではないが供給できた。

  -取引先の状況は。

  昆 わたしどもは気仙、釜石、宮古市場などに納めている。釜石市場は復興するかしないか分からない。宮古は連絡がつかず4日くらいで取れて荷物を立てておあげした。一部で営業の支障はあったが、挽回に努力してあちこちにつながりがあることは認識した。
  今まで売っていなかった商品をお客様のニーズがあるので、仕入れのつきあいを利用して供給した。あちこちで流通機構がトラブルを起こし、通常の平常取引に代わる別ルートで仕入れなければ商売できなかった。スーパーが開かなくて昔からの小さい店にお客さんが戻り「ここにあって助かった」と言っていた話は聞いている。今まではワンストップでショッピングしていた方が、車で自由に行くことができなくなったので結構戻ってきたという。大きい店は電気がつかずレジ打ちできなかったとき、小さいところは釣り銭だけで販売して見直された。

  -顧客への商品の供給は。

  昆 石油が非常に手薄になり、いつものお客さんは不安で満タンにしたがったが「切らさないから何とかするから」とご理解いただいた。
  1回でホームタンクを満タンにすれば、配達コストがかからないが、少しずつお客さんに切らすことなく供給した。この時期にお客さんに不自由かけるわけにいかない。飛び入りの人もくるし、なかなか苦労した。ガスは比較的潤沢だった。
  一番大切な食品は福島関係の物が市場では全然入ってこなかった。厳しい世の中で単価も低価格の物が求められている。果物は昔のようにデコポン1個300円などというのは売れない。低価格志向が野菜、果物に見られる。野菜もこの間は極端に上がった物はないし、高いとお客さんが手を出さなくなっている。福島の生産者は作った物を捨てざるを得ないとすれば心が痛む。福島関係は市場からなくなった。

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