盛岡タイムス Web News 2011年 4月 25日 (月)

       

■ 〈東日本大震災〉
  「支援が足りない」 宮古市で診療し続けた前市長熊坂義裕氏に聞く(上)

     
  前宮古市長、盛岡大学栄養科学部長の熊坂義裕さん(21日盛岡大学で)  
 
前宮古市長、盛岡大学栄養科学部長の熊坂義裕さん(21日盛岡大学で)
 
  前宮古市長で内科医、盛岡大学栄養科学部長でもある熊坂義裕さん(59)。津波を間一髪で免れた宮古市内の医院で診療を続ける傍ら、宮古医師会が避難所などで実施している巡回診療に参加。4月に入り週3日は滝沢村のキャンパスで教壇にも立っている。首長経験者、一医療者として被災者と向き合い何を感じ、訴えたいか、話を聞いた。(馬場惠)

  -震災直後から医院で診療を続けたのですか。

  熊坂 1カ間、無休で延べ2780人ぐらいの患者を診た。医院の前の川の水かさがあと30a高かったら、うちの医院も浸水は免れなかったが助かった。地震のあった日は停電で夜は真っ暗。明るくなって表に出てみると100b先が「あれっ」という感じ。とにかく病院は開いていないと駄目だぞと。午前6時半ごろから、どんどん患者さんが来た。うちは糖尿病と循環器が専門なので持病の薬が流されてしまったという人が多かった。血糖値をコントロールするインスリンや循環器の薬など欠かしてはいけないものがけっこうある。院内処方だったために薬の在庫が1カ月分ぐらいはあった。

  医師会としても2、3人ずつのグループで避難所を回るようにした。医師会で訪問するのであれば被災者にも安心して受け入れてもらえる。山田、田老は被災しても地元の先生方が頑張っていたし、郡部にはDMATをはじめ全国から医療チームが支援に入った。

  -被災者の医療ニーズは変わってきていますか。

  熊坂 日を追うごとに変わっている。最初は「生きていて良かった」。だんだん落ち着いてくると生活の質の問題。家族の安否が分かると、どこに住むか、これからどうやって暮らしていくか、心配事も増え、メンタル面でのケアが必要になる。

  今回、強く感じたのは、開業医が心のケアですごく力になるということ。内科はもちろん耳鼻科、小児科だって話の中に必ず「心」が入る。「まずきょうのことだけ考えよう」とか、「しっかり支えるから大丈夫だよ」とか。患者さんから「おっかあが流された」と聞けば、こちらも「えーっ」とかね。もう何十年と付き合っている人とか、小さいときから診ているという人も多い。われわれには何でも話してくれる。

  それは医者も、患者も宮古で死ぬ、お互いずっと宮古にいるという安心感からだと思う。災害派遣で来てくれる臨床心理士や大学の先生方の働きもゼロではないが、限られた日数では心は開けない。掛かり付け医であれば、患者が飲んでいる薬だって分かる。地域での役割はものすごく大きい。災害で生活は断ち切られたかもしれないが、互いの付き合いはずっと続くわけだから。

  -被災地にあって首長経験者として感じていることは。

  熊坂 支援してくれるはずの国や県の姿が見えない。県は「きちんとやっている」というかもしれないが、被災地からは見えない。ここまでは支援しなければというラインが低すぎる。もっとスピードを上げ、金も使うべき。

  今、一番求められているのは住む場所の確保。大臣が来て達増知事に「なぜ、もっと仮設住宅を発注しないんだ」とハッパを掛けていた場面があったが当然だと思う。作る場所の問題とか、いろいろあるのだろうが、完璧を期そうと思っているからなかなか合意が得られない。

  わたしだったら新年度を遅らせ、職員人事も予算執行も9月からにして6カ月間は被災地応援に全力を注ぐ。県職員は6千人はいる。給料だって保証されている。震災直後に大槌町に200人、宮古市に150人というふうに職員を派遣し、半年は、そこの市町村長のもとで仕事をしなさいと命令すれば、職員だって率先して来たはず。

  行政職員は一般のボランティアとは違う。被災地の役所は不眠不休で仕事をしている。もし市町村長の命令のもとに行政のプロを50人自由に使えるとしたらどんなに助かるか。今からでも、やれることは何でもやったほうがいい。仕事はいくらでもある。(後半は26日付に掲載します)


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