盛岡タイムス Web News 2011年 4月 25日 (月)

       

■ 〈不屈の意志〉白石食品工業・白石茂社長に聞く 被災地にパン65万個供出

     
  震災後の工場の状況を語る白石社長  
 
震災後の工場の状況を語る白石社長
 
  盛岡市の白石食品工業の白石茂社長に、東日本大震災津波に伴う業界の対応を聞いた。同社は県の要請で被災地向けに1日1万個のパンを出荷している。3月11日の地震直後は、気仙地方や仙台市近郊の住民向けにも緊急供給した。同社でも仙台工場の被害は大きかった。復旧と製造を同時並行させる綱渡りの操業再開。原材料が確保できず、包装資材にも事欠いた。歯がゆい思いを味わいながら救援の使命を担った。(鎌田大介)

  -3月11日の直後の状況は。

  白石 地震と同時に停電し、従業員の安全のため作業を中断して外に集合した。工場は日中も停電すると真っ暗。危険なので電気が復旧するまでそのままにした。停電は13日ころ復旧した。復旧してから寮生を中心に、主に壊れた天井の板を集めて掃除した。停電したのは工場を操業していたときで、ミキサーの中に粉を入れてかき混ぜている最中だった。それが発酵してしまい、そのままにしておけない。ミキサーの中をきれいに清掃して、次に生産できる体制を整えた。

  15日から製造をスタートし、16日から市場に出した。通常は毎日300以上の商品を作っている。15日の製造再開では1種類だけだった。やっと電気が回復し、皆さんスーパーで食料を求めたくても、スーパー自体が後かたづけで、やっているのは一部だけだったと思う。スーパーからは「何でもいいからパンが欲しい」という話があった。だが要望する物を生産するための原材料が不足していた。在庫の原材料はいくらかあったが、絶対量が足りなかった。

  とりあえず作れる物はコッペパン。包装資材が足りず、普段のきれいな印刷でなく、無地の包装紙にシールを貼り付け、食品衛生法に沿って原材料名を表示したパンを市場に出した。どちらのスーパーでも先を争って買う人が多く、数量限定しながら販売していたようだ。

  能力いっぱい作りたかったが、まだ余震がしばらくあり、夜間は生産せず日中だけ1日1万6千個ほど作った。地震の翌日は岩手、宮城両県を通して食料の調達要請があり、盛岡、仙台の在庫を県を通して自衛隊が運んだ。合わせて20万個以上を12日以降に持って行った。4月12日ころまでに累計65万個のパンが被災地向けに出て、災害時のお役に立てたと思っている。昨年9月に仙台工場のある大和町、富谷町、大郷町、大衡村の4町村と災害時の緊急食料援助協定を結び、早速それが発動した。
     
  盛岡市黒川の白石食品工業  
 
盛岡市黒川の白石食品工業
 

  -ガソリン不足の影響や入手困難になった物は。

  白石 一部特殊な原材料は入手困難だったが、基本的に小麦粉は何とか調達できた。2日間の停電期間の売り上げはゼロだったし、3月中は40%売り上げが落ちた。今月も尾を引き2割くらいは落ちている。全部回復していない。うちは大手のスーパーとコンビニに商品を送っており、まだコンビニが回復していない。コンビニの配送センターの機能がダウンして能力がかなり落ち今月も戻っていない。さらに4月7日の余震で1日停電した。そのときもミキサーの中に小麦粉の材料が入っていて発酵し、外に出ている物を全部片づけるのも大変だった。仙台工場も被害が大きく数千万の被害が出ている。

  -三陸沿岸のために何ができるか。

  白石 内陸の企業が活性化しないと援助できない。いろんな面で経済活動を活発にすることにより、回り回って沿岸の再生につながるのでは。うちはマイヤさんから緊急に何とかするよう言われて、震災の翌日、県の分とは別に出した。マイヤの店舗は全壊半壊があったが、極力向こうの人たちの食料を確保するため特別に出荷した。

  -復興のためすべきことは。

  白石 今まで景気が悪い中で、さらに震災になったので、経済活動が全体として活性化するよう考えねばならない。「負けるな岩手」とうちでもやっていきたい。「頑張れ」は被災者の方に若干、重荷になることもあろうかと思うので「負けるな岩手」。経済活動を通してもっと活発にやっていきたい。

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