盛岡タイムス Web News 2011年 4月 25日 (月)

       

■ 〈東日本大震災〉
  被災者の健康気配り、保健師が山田町で戸別訪問 滝沢村からも

     
  山田町で巡回活動をする滝沢村の保健師  
 
山田町で巡回活動をする滝沢村の保健師
 
  山田町の高台にある北浜町地区は現在、12世帯37人が自宅で生活している。東日本大震災津波から約1カ月半が過ぎようとしているが、水道は依然として不通。電気も16日に通ったばかりだ。高齢者の多い同地区では、健康に不安を抱える住民もいる。(泉山圭)

  「また来ました。変わりはないですか」。滝沢村から同町に派遣されている保健師の荒慶子さん(33)、佐々木悠美さん(32)は20日から3日間、同地区を巡回した。坂道の途中にある住宅を1軒1軒訪ねる。玄関先で声を掛けると住民が顔をのぞかせる。前日にも訪れているため、顔を覚えてくれた住民も多く「きょうも寒いですね」などと声も掛けられる。

  水道がまだ復旧しない同地区では、お風呂に入るのもままならない。衛生面のケアのために水が要らないシャンプーを配布すると、女性は特に喜んでいた。高齢者のいる世帯では血圧測定を促す。顔を見て話すことが健康を確認する一番の方法になる。

  同町の柳沢地区にあった自宅が津波で壊れた湊賢一さん(82)、佳子さん(75)夫妻は現在、60年くらい前に賢一さんの父親が建てた北浜町の家に身を寄せる。山田北小学校に20日間ほど避難し、その後に空き家になっていた家に移ってきた。

  賢一さんは震災前に60`あった体重が、50`まで落ちた。「やっぱりいろいろ気苦労があったのかな。避難所では最初はおにぎり1個とか、みそ汁も湯飲みに半分だった」と避難所生活を振り返る。現在は朝昼は配給の物資で作った料理、夕食は町が配る弁当を食べる。「だんだんと食欲も出てきた」と体重は徐々に戻りつつある。

  高血圧で賢一さんが通っていた個人病院も、津波で「水浸しになってみんな駄目になった」という。避難所から住宅に移ってからも定期的に保健師や医師の巡回があったが、震災後には一時血圧が高くなった。血圧測定の結果、荒さんから「大丈夫ですよ」とお墨付きをもらうと笑顔を見せた。

  佐々木さんは「健康面を見るとなると生活全体を見ることも当然必要になってくる。水があれば手洗いができるし、食事も食材が限られれば偏りが出てくる。生活と健康は全く切り離せない部分」と話す。

  佳子さんが今生活で困っていることは水が出ないことだ。「一番は水が欲しい。夫婦2人だけだから飲み水さえあればいいんだけど。給水車が頼りです」。洗濯は遠くのコインランドリーまで行って済ませるが、すごく混んでいる。

     
  日常会話をしながら住民とうちとける保健師  
 
日常会話をしながら住民とうちとける保健師
 
  同地区では給水車が巡回してくる時間になると、家々から住民がポリタンクなどを手に出てくる。自治会が中心となり、買い物や仕事などで留守にしている家庭の分も手分けしてくみ、高齢者だけの世帯には若い人が水を運ぶ。買い物をする店もほとんどが被災し、車がない家庭には配給の物資が頼りだ。

  「生活の基盤が揺らいでいるところに普段は入らない。問題が二重三重にある部分が普段とは違う」。荒さんは初めて被災地で活動し、普段の保健師の活動との違いを感じる。佐々木さんも「困っているところはないかを聞くという基本的なことは変わらないが、普段よりはメンタル的な部分に配慮する」という。住民の多くがいまだに深い心の傷を負っている。

  被災地には毎日全国から大勢の保健師が巡回に入っている。市町村などの小規模の単位で入る保健師は2、3人が数日交代で巡回するため、フォローが必要となる家庭や訪問先、注意事項などを次のチームに引き継ぐ体制をとる。地元の保健所や役場とも連携して毎日ミーティングを開催し、担当する地区を決めている。

  食べ物が徐々に潤沢になる一方で、被災者はメンタル面で少し疲れてきている部分がある。これから先は心のケアが中心になるという。荒さんは「誰に相談しようかというときに毎日来る保健師に聞いてみようという関係が理想。役場との橋渡しをできるような役割になれれば」と話す。

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