盛岡タイムス Web News 2011年 4月 27日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉226 伊藤幸子 「方丈記」

 おもひやる心やかねてながむらむまだ見ぬ花のおもかげにたつ
                            鴨長明

  「また同じころとかよ。おびただしく大地震(おほなゐ)ふること侍(はべ)りき。山はくづれて河を埋(うづ)み、海は傾きて陸地をひたせり。土裂けて水湧き出(い)で、巌割れて谷にまろび入る。なぎさこぐ船は波にただよひ、道行く馬は足のたちどをまどはず。…」これは元暦2年(1185年)7月、京都方面を襲った大地震の記述。鴨長明の「方丈記」の一節である。さらに続けて「そのなごり(余震)しばしば絶えず」として、余震が3カ月以上も続いたと書かれている。

  「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」の書きだしで、誰もがなじんでいる名文「方丈記」のメインテーマは災害と無常観。平安末期から鎌倉時代にかけて、わけても治承年間は事が多かった。

  平家の世、治承元年京都大火、2年、徳子中宮が皇子を出産。その後、辻風も吹き、福原遷都もあった。1年もしないで都は京に戻るがやがて平家滅亡へと続き、長明の視線と筆がありありと世相を描きだす。

  長明は久寿2年(1155年)賀茂神社の神職の生まれ。社家の伝統として和歌や音楽を幼少から習い、ことにも琵琶の名手と嘱望された。また建築設計にも明るく、折り琴、継ぎ琵琶の考案製作もする。そもそも方丈庵は、かけがねだけで組みたてた可動式住居だったという。

  50歳にて出家。ただし仏道修行というよりも執筆活動のためだったという説を聞けば、遁世者(とんせいしゃ)長明の謎も見えてくる。この出家のいきさつに「もとより妻子なければ捨てがたきよすがもなし」と記すあたりの身辺は不明。常に「和歌」「管絃」「往生要集」の三点を座右に、日野の地の方丈庵を出なかった。

  実はこの度の大震に、まっさきに東京在住の長女の婿どのより「方丈記を読む」(講談社)を贈られて読み、現代社会と酷似の状況に驚いた。歌人馬場あき子さんと国文学者松田修さんとの対談集で、長明について熱く語られる。

  昭和60年代初頭、まだ50代のお二人が文学、芸能、宗教、歌道、政道、世俗万端にわたって語られるさまは、長明も西行も、清盛も後鳥羽院も眼前におわすような存在感だ。

  「縦横の機智、快い飛躍、虹のような連想力、博識、論理の構築の勁(つよ)さ」と馬場氏に注がれる松田氏の讃辞は、そのままお二人の息合いとして凝縮されている。今生に叶わざりしことながら、拝眉拝聴したかった。近世文学研究者松田修先生は平成16年春、77歳にてみまかられた。末世か新生か、おもかげの花が揺れている。
(八幡平市、歌人)


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします