盛岡タイムス Web News 2011年 4月 28日 (木)

       

■ 〈肴町の天才俳人〜春又春の日記〉29 古水一雄 「第二十四」弓矢携ひ て山陰ニ行ク

 皮手帳「第二十四」には、最初のページに「仰彼蒼録 杜陵風鈴居士 印」と記されていて10月29日から12月13日までの47日間の日記がつづられている。
     
  「通巻第二十四冊 仰彼蒼録」  
 
「通巻第二十四冊 仰彼蒼録」
 
 
  (十一月九日、ながつき二十三日、)
    (前略)頭痛是頃日記ヲ怠ツテ書ノ
    モイヤダ、夜本町ノ茶店デ弓矢ヲ求
    ム、弓二円八十銭、矢四本八十銭、
    帰来頭痛、
 
  (十一月十日)
    弓矢携ヒテ山陰に行ク、安渡主人ニ
    会フ、弓強クテ曳ケズ、的ヤネラヒ
    ノ話ニアラズ、先ズ曳ク丈ケモ上手
    ニナケリヤナラヌ、山陰デハ大掃除
    話モ親シマデソコソコニ帰ル、弦で
    大指ガ赤ク痛ム
 
  これまで遊び事が全くなかった春又春であるが、本町の茶店でふと見かけた弓矢に興味をもち買い求めたのである。翌日山陰の別荘(この時分は伯母の一家が住んでいた)の庭で試そうと出かけたが、何せ筆以外に重い物をもったことのない腕では容易に弓を引くこともままならない。弦で親指を擦り赤く腫らすのがせいぜいといったところである。それでも再挑戦と翌日も出かけている。
 
  (十一月十一日)
    朝飯クツテ直ぐ山陰ニ行ク、弓ヤゝ
    慣レテ強ミ薄ライダ、勇君狙(い)
    ガ上手ダ、弦デ左腕ノ脈ノトコロ打
    ツテ赤ク腫レタ、
 
  (十一月十二日 ながつき二十六日)
    起床啖血ニ点又カト驚ロイタ、
    山陰ニテ弓、三十発バカリノ内一発
    命中、ヤゝ的ノ見当ガ付イタ、鏃

   (やじり)二ツ失フタ、今朝ノ血ガ心
    配ダカラ佐藤医ニ行ク、二時間バカ
    リ待ツテ診テ貰フ、弓ハ一週間許リ
    ヤメナクチャナラヌトイワレタ、止
    メルモンカトカヘリナガラ思フタ、
   (中略)
    昨日ハ午前半日カゝツテ弓ノ腕かけ
    作ツタ、今日モ脂(指)かけ一ツ作
    ツタ、
 
  弓で指や手首を腫らしながらも弓遊びに夢中である。啖の血が気になって病院を訪れ、医者に弓遊びを止められても“止メルモノカ”と開き直っている。腕かけ・指かけを自分でつくっているところをみるとなかなかのご執心ぶりである。
 
   (十一月十三日)
    朝食イソギテ山陰ニ行ク、弓、昨日
    マデ座リテ射タルニ初メテムヅカシ
    キヲ覚リ、立チテ射タルニ案ノ定的
    ニ当リ易(やす)シ、二発中ル、帰
    来牛乳二合、佐藤医ニ行キ名刺ヲ貰
    ヒテ病院ノ鈴木医学士ノ診ヲ乞フ、
    曰クドウモイケマセンナ、今ガ大切
    デスゾコゝヲ気ヲツケナクチヤイケ
    マセンナ云々、初診三十銭、帰途例
    ノ茶店ニテ矢四本モトム、
 
  春又春の弓遊びは、楊弓場や矢場などで行っていた賭け的(かけまと)を思い浮かべて正座射の姿勢で矢を射っていたものであろう。的中率が悪いことに気づいて立射に変えると今度はうまく的をいることができるようになってきたのだ。
  家に帰るとやはり吐血のことが気になって、最初に受診した医者から紹介状代わりの名刺を貰って岩手病院の鈴木医学士の診断を仰ぐことにした。“今が大切”の言葉も耳に入らないのか帰り道の茶屋で矢を買い求めている。
 
   (十一月十八日)
    山陰ニテ弓、弦切レテ新調ス、五分
    弦八銭也、雲軒、東風、勇君、蕪櫓
    山、櫓子省、櫓古人、余、皆当ラズ、
    帰途小雨
    午飯、玉子二ツ、納豆、飯三ワン、
    水散薬
 
  18日は日曜日であったので、友人や弟たちに声かけて山陰に出向いて弓遊びに興じいる。この日は全員的を射当てることができなかったようである。
 
   (十一月廿五日)
    霜ノ如キ雪、山陰ニテ弓、蕪櫓山一
    発中ル、紋羽(意:起毛させた厚手
    の綿織布)ニ首ヲスクメテ射ル、中
    ラズ、今日ハ寒イノデフルエテルカ
    ラ中ラナイノダ、呵々
 
   (十二月三日)
    六花(雪)紛々、山陰ニテ弓、雪ニ
    テ的見エズ、ヤゝ晴レテ風、的動キ
    テ止マズ、六発一本中ル、弦切レテ
    帰ル、
 
  雪の舞う時期になっても春又春の弓遊びは終わらない。動いている的を射当てているが、これはかなり腕を上げたということか、それともまぐれだったのか。
  
   (十二月十二日)
    朝、山陰ニテ弓、八幡山ノ烏頭ノ上
    ニ飛来レバ射ル、飛鳥ヲ射ル趣味ハ
    中ラズトモ的ナドヨリ遙カニ面白

   シ、
 
   (十三日)
    朝、山陰ニテ弓、アマリ中ラザルニ
    的ヲ近ウシテ射ル、尚ホ中ラズ、満
    身ノ汗ニ帰ル、
 
  右2日間の記述は、日記「第25」のものである。そしてさらに、
 
   (十六日)
    午后入浴後東風兄を誘ヒ山陰ニテ

   弓、
    夕陽ニ帰ル(中略)
    今日の弓ハ武蔵君(東風)四発、余
    二発中ル、句集の事に就キテ語りナ
    ガラ帰ル、
  (十七日)
    雨ニテ弓休ム、右目ノ霧ガ気ニナル
    カラ照井医院ニ参ル、二時間程何ト
    カイフ器械ノ穴ヲ覗キ西洋美人ヲミ
    ツメル、余ガ視力衰弱シタノデカク
    シテ度ヲ計リ三稜鏡(意:プリズム)
    ヲ用イネバナラム云々、
 
   (十八日)
    朝七時起床、妹ノ忌日ナレバ母ニ代
    リテ墓参リス、(中略)
    帰来頭痛、坐ニ堪エズ就床、正午起
    ク、ナゼコンナニ弱イカトツグツグ
    悲観的ニナル、さんどう(意:筋肉
    トレーニング、またはボディービル)
    ヤツテミル、面白クナクテ気ガ乗ラ
    ヌ、眼ノ治療ニハイカヌ、山陰ノ弓
    モ止メ、読書モ句作モヤ、意気消沈
    意志薄弱ノ涙把(タバ)ニ満ツ
 
  弓遊びを始めたころから時折頭痛や胸部痛が起きていた。さらには右目にも異変があったのだ。どうやら熱中していた弓遊びも終わりを迎えたようである。



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