盛岡タイムス Web News 2011年 5月 4日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉227 伊藤幸子 夢たがえ

 海にきて夢違(ゆめちがへ)観音かなしけれときうなさかに帆柱は立ち
                                       前登志夫

  夜来の雨音がようやく止んだひきあけの間に、夢を見た。亡き母がいた。それも今、息を引きとらんとする枕辺に、いまわの静寂が満ちていた。そのとき不意に母の表情が動き、目をあけて私を認めると、ほのぼのと笑って「ナニ、ステラ(何してる)?」と問うたのである。驚き、喜び、手にじっとりと汗を握って目がさめた。

  母の夢はたまに見るが声を聞くことはなく、凶事でなければいいがと離れ住む子供達に電話をした。「災害のテレビ見てるからよ。なにも、生き返った夢ならいいじゃない」と皆笑う。

  よく、吉夢は人に語るべからずといわれる。北条政子の「夢たがえ」は広く知られている。妹が「どこか高い山に登り、左右のたもとに日と月を入れ、三つの実のなった橘(たちばな)の枝をかざす」という夢を見た。それを聞いた政子は「唐の鏡と美しい小袖をひとかさねあげるからその夢、私に売って」ともちかける。こうして彼女は夢を買い、源頼朝将軍の御台所となった。

  さらに古い時代の「宇治拾遺物語」には「夢買ふ人の事」としておもしろい話が出ている。「昔、ひきのまき人といふ男、夢をみたりければ」夢解きの女の所に出かけた。すると先客がいて、占い師は「これはよき夢、必ず大臣に出世なさるはず。あなかしこ、人に語り給ふな」とご託宣(たくせん)。客は大喜びで着ていた衣を脱いで女に与えて帰っていった。

  これをものかげで聞いていたまき人は、「今の客の夢を吾(われ)に売ってくれ」と頼みこみ、「先客と露もたがはぬ夢語り」をして、衣を置いて帰る。夢たがえはみごと成功。まき人は学問に励み精進して遣唐使にまで選ばれ、帰朝するや本朝一の学者、大臣に昇進したそうな。

  さてこの「ひきのまきと」とは、「きびのまきび」であるという。養老元年(717年)第9次遣唐使にはこの吉備真備、阿倍仲麻呂、井真成(せいしんせい)らが一緒とされる。18年余の在唐期間を経て、真備は無事帰国できたが仲麻呂は望郷の念やみがたきまま唐の高級官僚となってかの地に骨を埋め、真成は36歳で唐の西安で病没した。

  平成17年秋、この井真成の墓誌が日本に里帰りして大きな話題を呼んだ。上野の国立博物館で公開された方形の蓋付(ふたつき)の墓誌を見た時の感動は忘れられない。「姓は井、通称は真成、国は日本…」と刻まれた端正な文字。「日本」の魂を背負って海を渡った若者達の血がたぎる。茫々と活字の海を漂う私に、どこからともなく「ナニ、ステラ?」と問う声が聞こえる。

(八幡平市、歌人)


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