盛岡タイムス Web News 2011年 5月 7日 (土)

       

■ 〈胡堂の青春育んだ書簡群〜学友たちの手紙〉23 八重嶋勲 「金色夜叉」読破

 ■岩動孝久

  45 はがき 明治33年11月11日付
宛 盛岡市四ツ家町ゐ川様 野村ぬし(長一)まゐる
発 田舎(紫波郡赤石村)露子迂人(岩動孝久)
 
日本人は耒ずや、
金色夜叉読破一番仕候、前中に比し遜色はまぬかれねばまた面白く存候、目下句も出耒ず忙中の忙病床御開に卉走いたし居候、いづれ出盛は十一日頃にもなるべく候、何だか小説がかきたくなり申候、今にては筆も取れねば帰盛己しかるべく決するつもり、心気の変動われ幾分かこれを得たり心地いたし候、二十世紀の材料は充分あつめ申候、己れの分は収も出耒べく候、原子に昨夜逢ヒ申候、箕人子は帰られしや、
 
  【解説】「日本人」は、正岡子規の日本新聞の俳句、日本派の「日本」であろうか。尾崎紅葉著『金色夜叉』を読破し面白かったという。病床を開いて十一日頃に盛岡に出たい。盛岡に帰って小説でも書きたい。「二十世紀」の材料も十分集めた、という。「二十世紀」は、いろいろ調べてみても出てこない。回覧雑誌であろうか、後藤清造の手紙にも何度かでてきている。今後の研究を待ちたい。
 
  ■小成田保

  46 はがき 明治33年11月11日付
宛 盛岡市馬場小路 照井(勝知)様方 野村長一様  原稿と朱色
発 江刺郡米里村(奥州市江刺区米里) 小成田保 十一月二十八日
(封筒のみで中身なし、宛名の下に横書きで「原稿」と朱色されている)
 
  【解説】原稿とあるので、何かの文集のものであろうか。小成田保は、盛岡中学校同窓会会員名簿にも見当たらず、全く分らない。
 
  ■混沌子

  47 はがき 明治34年1月6日付
宛 盛岡市馬場小路照井方 野村長一様
発 混沌子 明治三十四年一月六日
 
正月早々小言と来たり、よっく承れ!吾れ由来夕雪靡く富士が根にひとりさびしき夕暮れを冬籠るとぞいって登山せり、さるを吾に兄等がうるはしき手筒にも接せんかとあけてくれ小さき窓にかげろふもゆる東根を遥か見渡すに折悪しくたなびきかく雨雲のうらめしきがあり、元日は君等に向けて年始状出した筈也、さりはそれをのみぞ待ち焦がるヽに、はては半バ過ぎて五日過つも音沙汰なし、吾れは手簡の往復をしひて求めざれども其方が消息等少しも知りたし、年始状来ぬはさって其方に恙か無くあるにや、露子より否鑛山監督所より新年宴會促すとのはがき一通来れるのみにては何分にも吾れは其れ處か消息知りがたし、戀人に分れたる時はこれよりつらきものか、さりとはいぢらしき事なり、今更の新年状は薄情なり、見ぬにしかず、菫舟氏は出てゐるか知らぬが、彼の人にかぎってこんな薄情でない筈や、さりとは猪川先生連中も惨酷なり、又も例の皆に恙かありててにや悲しき事ニかきりかな

(ここからはがきの行間に書いている)

さすればこの渾沌子を困却すると見て取ったり、吾れは三銭の切手を惜しむに非す、されど持ち□といふからこの端書なり乞ふ□せよ、併し?の中の人は□□な□みた筈渾沌子は吻で□つくと、それ七色の虹は大空を□って宙□□□した可□□□□ぞ□僕は面白くって湯島詣三ベン讀んだ、僕は出盛したら屹度日□べき者たり詩聖□□□□が萬丈の気□をいってる、笑ってやり給へ可笑しいぢゃないか。近刊行く春に□□□□かの有名な蕾菫といふが出□相かな、それは□小著であるが懸賞で募集□□□□になってゐる相な。如何にもにも面白い仕掛でないか、新刊中の一□彩な□□□それから新小説の監時□□□刊に断雲□といふが出る相な、それは有名な彼の渾沌子君、これも文壇の一□□だといって親友から来てゐる、何れ本年の文壇はゆいくり□る□□□□□□□□彼の口さがない文庫連中でも有繋は唯っといって開いた口が塞がらぬとはい□□□□□□右は評判□□□東京便りまで左様(さあ大変だ、端書の利用恐ろしい)ハ・・・・・
 
  【解説】差出人は、混沌子。文中「東京便り」とあるから、原抱琴からのはがきのようである。年賀状も少しで、手紙が誰からもこない、と嘆いている。どうも切手代がないらしく、はがきに一通り書き、さらに行間に赤ペンで書いているので、解読困難なところが多い。

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