盛岡タイムス Web News 2011年 5月 14日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉211 岡澤敏男 マザコンのタネリ

 ■マザコンのタネリ

  タネリをめぐる二つの童話のファーストシーンは、いずれも「着物」にかかわる話題から始まっている。サガレンのタネリでは「鮭皮」、岩手山麓のタネリでは「藤蔓」という特異な素材によって作られる着物です。鮭皮の着物・チュプ・ウルについてはサガレンのアイヌコタンでよく見受ける風習といわれるが、藤蔓で着物を織る伝承は信州から山陰地方に限定されるもので、岩手山麓の伝承ではあり得ない虚構なのです。

  それにもかかわらずホロタイ・タネリの母親にフジ布を織らせるという虚構性によって「ふたりのタネリ」を創作した動機というものの輪郭がより鮮明に透視されてきます。

  すなわち草稿の中断で未完の断章となったサガレンのタネリでは表面化されなかったが、佐々木喜善の『聞耳草紙』にある〈鮭のオオスケ〉譚のように鮭皮の着物の呪術の未来図がシミュレートされてくるのです。

  チョウザメの下男になったまま凍結されてしまったタネリを、〈要保存、胚なり〉と記載した再生予告どおり、胚の子葉が岩手山麓の舞台にホロタイ・タネリとして藤蔓をにちゃにちゃ噛みながら登場するのです。しかも母親が作ってくれたフジ布の上着を身に着けながら…。

  フジ布には『古事記』の説話に通じる呪術が宿っており、鴇に誘惑されて陰気な森へ近付いたタネリに「胸を押さえて、立ちどまる」よう制止させるのです。

  このように呪術性をもつ鮭皮、藤蔓の着物は母親によって作られており、子どもの成長と無事を願う思いが呪術を生むものなのでしょう。この二つの童話は父性の欠如と母子の会話をもって成り立つ物語です。

  しかしいかに母親に従順な子どもでもいずれは母親から自立する時期がきます。「クラゲを拾うな」という母親の警告に背き犬神につかまったサガレンのタネリは、あるいは母離れして自立を図ろうとしたのかも知れない。しかし犬神から逃れようとして「おっかさん、おっかさん、おっかさん」と一生懸命に母親の助けを求める心情は、まだマザーコンプレックス(マザコン)状態にあったと見るべきでしょう。

  一方の岩手山麓のタネリは「森へは入るな」という母親の警告に背かずに森の姿を見ただけでUターンし無事に帰宅しており、自立未然のマザコン状態にあったことが分かる。このようなタネリ像を眺めていると、ふと賢治自身の分身のように見えてくる。

  賢治は少年期を過ぎてなお、心像に母のアニマが宿されているのをつぎの二つの逸話が伝承しており童話発想の切り口として注目されます。

  一つは大正7年6月(盛岡高等農林卒後実験補助時代)に母を亡くした保阪嘉内への手紙の文面です。

  「私の母は私を二十のときに持ちました。何から何までどこの母な人よりもよく私を育てて呉れました。私の母は今年まで東京から向へ出たこともなく中風の祖母を三年も世話して呉れ又同じ病気の祖父をも面倒して呉れました。そして居て自分は肺を痛めて居るのです。私は自分で稼いだ御金でこの母親に伊勢詣りがさせたいと永い間思ってゐました。けれども又私はかた意地な子供ですから何にでも逆らってばかり居ます。この母に私は何を酬いたらいゝのでせうか。」

  もう一つは羅須地人協会時代に、桜で畑仕事をする賢治の食事を気遣った母が妹クニに「ひっつみ」を持たせてやったときのこと。その秘話はコラムに別掲しています。

 ■「賢治のお母さんから聞いたこと」(抜粋)

       森荘已池著『宮沢賢治の肖像』より

  賢さんが桜で暮らすようになってから、食べるものも食べないで畑仕事を稼いでいるのが、とてもむぞいと思って、クニ(妹)に「ひっつみ」を持たせてやりました。(中略)クニが泣きながら台所口から入って来ました。「ナニした」とききましたら、「兄(え)ナさん、食わないから持って去(い)んじゃ」と、いったというのです。(中略)

  二、三日すぎても、どうしても悲しい淋しい気持ちが無くならないので、とうとう桜に行きました。賢さんに「ひとが、せっかく食べさせたいと思って、よこしたもんだから、だまって食べてござい」といい、かさねて「かえされたひっつみを、食べようと思っても、むせてノドを通らなかったス」とわたしがいいましたら、賢さんがいいました。「ひっつみかえしてから、私も泣いたンすじゃ。かえされたひっつみを見て、お母さんは、きっと泣くだろうと思って、クニ子をかえしてから、オレの方がもっとうんと泣いたンすじゃ」といいました。わたしの何十倍も泣いたというのです。(以下略)

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