盛岡タイムス Web News 2011年 5月 16日 (月)

       

■ 〈不屈の意志〉テレビ岩手・矢後勝洋社長に聞く 災害報道270時間

     
  震災後のテレビの状況を語る矢後社長  
 
震災後のテレビの状況を語る矢後社長
 
  テレビ岩手の矢後勝洋社長に、東日本大震災津波でテレビ局がどう対応したか聞いた。震災直後は自家発電で放送設備を稼働させ、未曽有の災害を現地から速報した。発生直後の災害報道は約270時間にわたり、阪神大震災や岩手・宮城内陸地震などの教訓を生かしたという。今後は震災後の報道番組に力を入れ、24時間テレビなどでイベントの活性化を図るという。(鎌田大介)

  -3月11日の発生直後の放送は。

  矢後 停電してすぐ自家発電に自動的に切り替えて放送を続け、通常番組を打ち切り災害報道にした。岩手・宮城内陸地震の後、大地震の訓練をしていたのでスムーズに災害報道に入ることができた。中継車と記者カメラマンをまず大船渡に出した。釜石の記者からは1度電話がかかってきたあと通信が途絶した。一番の情報源は宮古の固定カメラ。天気情報に使うもので、津波が押し寄せる第1報を知った。魚市場から波が押し寄せているところを映し出して、これは大変だと。大船渡には夜着き、陸前高田には次の日の昼ころ着いた。あの状況にぼうぜんとしたそうだ。

  -大地震の訓練は生きたのか。

  矢後 岩手・宮城内陸地震のとき非常事態への対処に慣れる必要があると感じ、宮城テレビ、日本テレビを入れ、通常番組をやめて災害報道に切り替える訓練をした。混乱しなかった。11日から災害報道を270時間やった。視聴率は民放ではトップだった。非常用発電機を重油で動かしていた。これが4日分ほどしかない。早く復電しないと放送が止まると心配をした。だが、停電でわれわれが一番苦労したとき、視聴者の皆さんが見られなかった。盛岡で復旧し始めたのは12日の夕方から。皆さん見てくれたのはワンセグと車載テレビだった。

  -現場はどのような状況だったか。

  矢後 宮古の記者と釜石のカメラマンと全く連絡が取れず心配した。日曜日になって取れた。特に釜石は心配したが、幸い元気に取材していたことが分かった。釜石のカメラマンの映像が一番すごく、全世界に流れた。高台から至近距離だった。

  一番は被災者のビデオメッセージ。阪神大震災で読売テレビが取った手法で、15日からやったら大変な反響だった。通信が途絶した中、「わたしは元気です」と安否確認になり取材者が何の脚色もコメントもせず被災者が生で直接語りかけた。15日夜に「5きげんテレビ」でやったら反応が1千通きた。
     
  テレビ岩手の社屋  
 
テレビ岩手の社屋
 

  あとは避難者名簿を静止画でも動画でも撮ってきて読み上げた。避難所は二百数十カ所から300カ所あったから全部ではないが、何十カ所かやった。映像の同時性と迫真性、地上波テレビの強みを実感して視聴者にも分かってもらえたのではないか。全国放送のNNNドキュメントで「津波にのまれた女将」というドキュメント番組で、ギャラクシー月間賞を受賞した。

  -震災で地デジのアナログ停波が延期になった。

  矢後 山間地のアナログの共聴施設を7月までにデジタル化工事するのが200近くあるのができなくなった。その面倒を見てくれる市町村が震災対策でまったく手が回らない。対象世帯は1万3千世帯ほどで、それだけをもってアナログを継続するのは論理的ではないと思うが、現場の知事や市町村がそれどころでないから延期してほしいというのは分からないこともない。お金がかかることだが苦渋の決断をした。総務省にはアナログ継続の費用を全額見てほしいと言っている。

  -三陸沿岸のため何ができるか。

  矢後 直接的に三陸沿岸の復興の歩みを報道番組で伝える。「5きげんテレビ」で三陸でキャラバンする。6月からは「ふるさと元気商店」。企業の復興状況、復興に関するニュースなど三陸の皆さんを元気づける情報を発信する。7月は被災3県の「元気になりました」という姿の番組をやる。それより岩手そのものの経済活動を活発化するのが大事。内陸の生産活動が回復軌道に乗らないと、沿岸を助けられない。過度に自粛せずPRするものはPRする。行事をきちんとやって観光客には来てもらわなければ。24時間テレビも去年より大々的に、前潟のイオンや沿岸でもやり、皆さんに福祉の心で募金をお願いし、沿岸の物産展や楽しんでもらえるイベントをやりたい。


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