盛岡タイムス Web News 2011年 5月 18日 (水)

       

■ 〈東日本大震災〉
   安全安心から再生の一歩を 釜石市平田町内会長、前川輝夫さん

     
  まちづくりについて語る前川輝夫平田町内会長。旧釜石商業高校体育館避難所で  
 
まちづくりについて語る前川輝夫平田町内会長。
旧釜石商業高校体育館避難所で
 
  釜石市平田町内会長の前川輝夫さん(64)は自衛隊ヘリコプターによる上空視察に地区代表の一人として参加。津波の惨状を改めて目の当たりにし、そのすさまじさを痛感した。古里の集落や漁港は根こそぎ破壊され、世界に誇る水深63bの湾口防波堤でさえ、ばらばらに倒壊していた。前川さんは安全、安心のまちづくりが地域再生への一歩と考える。(馬場惠)

  新緑の5月。本来なら今年は地域の館山神社の「三年祭」で、町内挙げて祝うはずだった。あの日から一転。深い傷を負った地域は、復興へのまちづくりという大きな課題と向き合っている。

  釜石市では復興まちづくり計画の策定に向けた住民との懇談会が12日から開始された。大きな関心の一つが建築制限がかかる「危険区域」の設定問題。どこにラインが引かれるのか、区域の中に半壊した家が残っている場合はどうするのか、一日も早く方針を示してほしいと多くの人が望む。

  三陸縦貫道など基幹道路はもちろん、点在する集落を結ぶ生活道路の整備も住民の暮らしには大きな問題。前川さんも「人命を守れる街、地域づくりを計画するのであれば、生活道路も高台に計画すべき」と訴える。

  前川さんは自宅が2階まで浸水。旧釜石商業高校体育館で避難生活を送る。避難所と職場を往復しながら地域の世話役として奔走する日々だ。

  体育館に400人近くいた避難住民も、雇用促進住宅に移ったり、親類宅に身を寄せたりして現在は76人になった。生活のリズムや係分担もでき、避難生活だけ見れば落ち着いている。
     
  津波で大きな被害が出た平田漁港と周辺集落。  
 
津波で大きな被害が出た平田漁港と周辺集落。
左上は県水産技術センター
(自衛隊撮影。ヘリコプターによる、ふるさと確認)
 

  ただ、被災状況や考え方が異なる住民が一つになっていくことは容易ではない。避難生活が長引けば不平、不満も出る。仮設住宅に移ったあとのコミュティーづくりも考えなければいけない。

  「これからが大変。でも、これまでも、いろいろな人が助けてくれた。苦労はしても、解決していける」と前川さん。外から避難所に支援に訪れた人との新しい絆もできた。「自分たちだけでは無理なことも、よその発想やアイデアを入れることで可能になる。お世話になった人たちを、大勢、地域に呼んで一緒に盛り上がるようなまちづくりをしたい」と前を向く。町内がまとまって近くの仮設住宅へ移り、新たなスタートを切りたいと願う。

  震災当時、前川さんは新日鉄釜石製鉄場前の土手から、津波が押し寄せた国道283号に飛び込み、流されかけていた4人の女性を救助する離れ業をやり遂げた。さらに平田地区に戻る途中、自宅に取り残されたお年寄り1人を首まで水に浸かりながら救助した。振り返れば命を危険にさらす、ぎりぎりの決断。「これを見過ごしたら一生、後悔する」との思いが体を突き動かしていたという。

  土壇場で沸いた己の力、助けてくれる周りの力を信じて、新たな壁にも挑戦する覚悟だ。


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