盛岡タイムス Web News 2011年 5月 24日 (火)

       

■ 〈不屈の意志〉共立医科器械・餘目正敏社長に聞く 患者の元に酸素ボンベを

     
  被災地に医療用器材を届けるため苦心したと話す餘目正敏社長  
 
被災地に医療用器材を届けるため苦心したと話す餘目正敏社長
 
  盛岡市愛宕町の医療機器の共立医科器械と在宅介護機器のケア・テックの2社の社長を務める餘目正敏氏(62)は、震災時から被災地へ医療関連の物資を運んだ。緊急車両の登録はしているものの、ガソリンの入手がスムーズにいかず一苦労した。メーカーの支援を受けてチームを組み、患者らに酸素ボンベなどを届けたという。被災時の状況や今後の取り組み、課題などを聞いた。(大森不二夫)

  -震災時の状況は。

  餘目 社屋など建物に損傷はなかったが、沿岸地区で車2台が流され、酸素ボンベなど医療用機材が流されて幾分被害をこうむった。社員は大丈夫だったが、沿岸出身者の中には家などが被害に遭った社員はいた。以前から地震などに備えた対応訓練と在庫の確保などをしている。これまで地震時には、最初に電話を掛けてから医療器械の点検などに向かう体制をとっていた。しかし今回はこれまで経験したことのない巨大な地震と津波だった。予期せぬ事態となった。医療機関、介護施設などに電話をかけた。どこも通じない。停電で駄目だった。内陸部の医療機関はまず大丈夫だったが、沿岸部の医療機関の多くが壊滅的な状態になった。残った医療機関に心電図のモニターを防災ヘリコプターを利用して届けてもらったのが最初。介護施設や自宅などで、当社の酸素ボンベで酸素吸入している患者は沿岸部に200人ほどいた。すぐ届けなければと考えた。

  -いつから届けることができたのか。

  餘目 大震災の翌日12日から、酸素ボンベなどを持ち社員を沿岸部に派遣した。余震も続いており2次被害を心配した。社員には慎重に行動するよう呼び掛けた。困ったことにガソリンがスムーズに入らなかった。緊急車両登録をしたが、スタンドでは当社の仕事や役割を理解してもらえず給油に時間がかかった。これはこれからの大きな課題だ。ガソリンを入れ現地に入ったはいいが、患者がどこにいるか皆目見当がつかない。避難所や病院などを訪ねて回った。ラジオなどでも呼び掛けた。情報を収集しながら患者の居場所を探してボンベなどを届けて回った。暗い家の中でじっと我慢してボンベが来るのを待っていた人もいた。じっとしていれば酸素を吸う回数が減ると思っていたそうだ。

  -酸素ボンベは足りたのか。

  餘目 数十本ほど流された。非常時対応のために在庫はあった。ただ、時間が経過すれば少なくなり、底を尽き始めた。予備に数本必要な患者もいる。メーカーの応援を要請したが高速道路は止まり、ガソリンが入らず動きがとれない状態。それでも大手1社が2週間後に大量な機器と人を派遣してくれた。その会社の社員は今も県内に常駐し、当社のスタッフと一緒に沿岸部の支援に当たっている。ちゃんとしたメーカーと体制をとり緊急対応ができた。
     
  共立医科器械の社屋(盛岡市)  
 
共立医科器械の社屋(盛岡市)
 

  -ボランティアのあり方に一言あるようだが。

  餘目 大震災後から当社にさまざまな医療関連の支援物資が届いた。それを被災地に運ぶが、受け取る側はボランティアが多い。体温計から血圧計、医療機器類などが多かったが、そのような計器や機器類は使用の仕方がそう簡単でない。使い方の説明が要る。衣類ならば簡単に選び着ればよいが。薬類も支援物資としてあるが、薬剤師がいないと飲めないような薬もある。機器にしろ薬にしろ、ある程度の知識がないと被災者に渡せないだろうと思った。当業界には機器を扱える人間がいる。もっと活用してもらいたいと思った。

  -沿岸部復興に向けては。

  餘目 国や自治体に医療復興に向けた青写真を出してもらいたい。まず病院をどこに建てるかの計画を早く。場所が決まれば安心して学校や商店もできよう。そうなれば街の復興に結びつく。岩手県の人口は減少しており歯止めをかけなければならない。そのためにも早急な医療復興の青写真を。沿岸と内陸部が一体となる活動が進む。新たな雇用も発生しよう。そして、岩手を魅力ある県にしよう。岩手に来たくなるような構想も。


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