盛岡タイムス Web News 2011年 5月 27日 (金)

       

■ 〈胡堂の青春育んだ書簡群〜学友たちの手紙〉26 八重嶋勲
  拝啓ちび筆取りて申上ぐべく候

 ■猪川浩

  51 半罫紙 明治34年4月1日付
 
宛 陸中國盛岡市馬場小路照井方 野村長一様 親展
発 岩手郡(岩手郡西山村西根・現雫石町) 猪川浩 四月一日
 
拝啓ちび筆取りて申上ぐべく候、昨日は必ず御出盛の事と心竊(ひそか)に望みを属し居り候處、思ひきや御出盛これなく杏子君突然参られ候には少しく困却致し候らひき、扨て申し上くるべき順序などこゝに書きそれより順次申し述べく候、(一)今度の送別会に付き君に憑依したき事(二)吾れは少しく遅れて(併し二日、三日間以内)出盛スル事條(三)それに附き早速東京よりの返事をきゝ度き事(四)吾れが東京行を許可になりし?末(五)それ故に君の方の都合及び五山君の方都合及び宮川君の方の都合運び(六)銭に関する事項。以上、

(一)先頃の汽車賃各々より御徴収下され度(七十銭?六十五銭?)次ニ杏子君、暁花君各々上り五十銭つゝ、五山君が為替で送る筈なりしがどうしたか来たならば早く取り下なされ度候、それから君の會費僕は出盛の節持参致すべく候、何れ集る位集めて三柊君へ御遣下なされ度候、(但し炎天、秋皎、虎人よりはとり申し候)写眞も又都合の善い様にして置いて下なされ度候、取るに善いなら取って置いて下なさる、それは御勝手に候、全体集るべき銭は総体(但し只放って出さぬ人のを集むることなり)一円五十二銭つゝ四人前即ち六円八銭、五十銭つゝ二人前、一円計七円、この内寒葉君分一円の皆へ借しあり、即ち総計八円なり(但し冷仙旅行に出てあれバこの人五十銭出さず)、而して三柊君の方へ六円許り行く、後は写眞屋へ行く都合となりをれり、然るに冷仙居ぬので少しく足りなかったわけなり、故に今急にどうもすること出來ぬ故先づ三柊よりかって後に冷仙に拂はせる工風より外になかるべく候、目今吾々が行くにつけても一銭も無駄は出耒ぬでやむない三柊君へ願ふわけなり、長い話しだから先づこれで止め。

(二)行くに接近した塲合行ったり耒たりそんな騒ぎでなへ、併しこゝ少しく落着いて愈々となった場合は愈々出馬と出駈(掛)けるべくそれ迄では少し待ってもらひ度く候、何れ近い内吉報を齎ス時季あるべく、こゝに少しく事情のあることなればその難解をといて、而して君に緊手りした所御報知致すべし、所謂その吉報をそれ自身がひっさげて行く積りなり、それ故少しく遅れると申すことなり、それにつき親しく君に會計の事を話し度が仕方ない、どうかそれ迄(で)君によく一任した譯だ、ど(う)か、都合して善いようにやっておいてくれ給へ、三柊君に余り迷惑をかけるのが實に面目次第もない、箕人蔭で泣く様になって詫びて居ますっていってくれ給へ、

(三)忽しても二、三日は遅れるから若しもその内に東京から抱琴でも太一郎君よりでも手紙が来たなら早速報知して下なさる様願ふ、其處の方さへしっかりしてくれゝば家の方は赦された同様で今の今は最早東京へ行くっといって盛岡中へふれて歩行いても差しつかひない程自由の身となった、それで何より先の方が家でも折角心配してゐることなればその返事を早速きゝたいのだ、家では学校にでも這入れないで一年も又遊ぶ様なことがあれば大変だといふ處で心配してゐるで一時も早く向ふの方さへ緊手していてくれゝば僕は屹度吉報を齎して行く保証するなりだ、願くは東京よりの報知を欲しいなり、可及的迅速に願ふ譯に候、

(四)今までは只一生懸命行々と前後も顧みず言って居た今日の今日は愈々その本場に望むものである、僕も寒心深渕に望む様な心地で野路を行く行く色々その手だて方便を工風にして家に這入るとファザーァの問に答ふるに学校の紛擾問題よりして起し、愈々本場に工面のまゝで突き込むに案ずるより産むが安いで早速その計にぽんと上り最早僕も安心の場となったが、併しこゝに少っと計りの事情ありて切りぬけ難しと雖も何に敏腕を撤ふ時耒れりの方で今度うんとふんばる積りに候、さればそれ丈けは少しも御心配御無用、何れ目出度きものに候、案ずるより産むが安いものに候、君も然り、僕も然り實にうれしいかぎりに候、

(五)さて今度五山、宮川君なども怎(いかでか)したものか、未た消息もしれなく候や、これは少しく困り果て候、今頃はたいてい音連れ有りそうのものと思ひ居り候らひしに案外遅く候、寒葉君も念の為め聞くも又或るいは安全ならんかです、併し聞かぬ方も又一興なものに候や。責めて五山君許りも早く知れる方がいゝと思ひ居り候、

(六)先づ皆なか行くことゝきまり候からは一時もゆう豫することなく出懸(掛)る方上策に候が此に又困難が御座候、そは外でもない金に候、本月は折り悪しくむじん外いろいろの寄附やなにかでさっぱり銭が切れてをり候らヘバ今少かより外なく候、二ヶ月位つゝも持って行くつもりなるに一ヶ月分もむつかしい有様に候らヘバ無論寒葉君の汽車賃倶拂ふつもりなりしも今度困った事になり候、されば君は一ヶ月分も余けいもって行って寒葉君の汽車賃を出する様に願ひ度く候、一体こんな銭の話などは一番しにくゝ一番いやなれと、又今の度一番大切だからしかたなし話した、思い切っていふ事なり、堪忍してくれ給へ、情ケなく思ふてくれ給ふな、又後便を以て申上可度く候、只返事を待焦れをることに候、とり急き差上候、以上。(後藤の奴郎あけて見るかも知れぬに依って封す)
    菫舟兄        キ(箕)人

  【解説】三柊とは誰であろうか、阿部哲三(盛岡中学明治34年度卒業)、阿部秀三(同32年度卒)あたりか。阿部哲三は彦部村大巻の野村家に明治31年8月に何日か泊まったことがある。この手紙は、どこかに三柊、菫舟、箕人、五山、炎天、秋皎、虎人、杏子、暁花、寒葉の十人程で出かけ、その汽車賃を三柊が一括立て替えているらしい。その精算をしようというのである。

  また、一行で東京に1カ月以上の滞在の予定で出かける計画をしているらしく、それぞれ家の了解と、旅費の工面をしようとしているようである。また、1学年上の卒業生(阿部哲三、岩動孝久、及川古志郎、小野寺直助、菊池健次郎、金田一京助、郷古潔、後藤清一郎、田子一民、細越省一、弓館芳夫等)の送別会を計画中のようでもある。


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