盛岡タイムス Web News 2011年 5月 28 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉213 岡澤敏男 児童文芸誌「赤い鳥」の広告

 ■児童文芸誌『赤い鳥』の広告

  もしも鈴木三重吉が賢治の童話「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」を受け入れて児童文芸誌『赤い鳥』に掲載してくれたならば、ストックしてあった未発表原稿が多数あったから、賢治は何巻かの童話集を出版する気になったかもしれないと天沢退二郎氏は指摘する。

  三重吉は賢治の原稿の掲載を断ったが、童話集『注文の多い料理店』の広告を無料で掲載する意向をあっせん者菊池武雄に告げたらしい。

  菊池はその旨を伝えると賢治は喜んで?広告文案を『赤い鳥』編集者に送ったのです。ところが賢治の広告文案に「御希望の方はお知らせ下さればすぐ送本いたします。お読みになっておもしろかったら代金をお送り下さい」とあったので、このゲラ刷りを見た三重吉が大笑いをしてその部分を削除させたという。

  掲載された一n広告には書名を「イーハトブ童話/注文の多い料理店」と黒地に大きく白抜きして、その下段に「読む人の心を完全に惹きつけねばおかぬ真面目さと自信を以って」と小見出しをつけ「東北の雪の曠野を走る/素晴らしい快遊船(ヨット)だ!」と大活字で印刷されているのです。

  この広告は大正14年1月1日発行の『赤い鳥』(第14巻第1号)に掲載されているが、この号の「印刷納本」は大正13年12月8日と記載されていることに注目させられる。

  というのは『注文の多い料理店』の出版日が大正13年12月1日となっており、広告を載せた『赤い鳥』の印刷納本日との差はたった1週間しかなかったからです。

  菊池武雄はまず鈴木三重吉に『注文の多い料理店』を送って賢治童話をアピールします。さらに生原稿を読んでもらうように約束をとりつけ、賢治に伝え「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」の生原稿を送らせます。

  それを三重吉に届けて『赤い鳥』への掲載を迫ったが、三重吉は菊池に「君、おれは忠君愛国派だからな、あんな原稿はロシアにでももっていくんだなあ」といって掲載を断るのです。

  だが三重吉の好意で『注文の多い料理店』の広告が掲載されることになって賢治からの広告文を手配します。さらにゲラ刷りの一部修正校正されて、印刷所に納品されたわけでしょう。

  菊地武雄と鈴木三重吉との密度の高い折衝や花巻の賢治との往復通信などが7日間で決済されたということは、とてもミラクルだとしか言い様もなく、賢治作品に心酔し『赤い鳥』掲載に懸けた菊池の熱い心情というものが凝縮されているのです。

  この経緯を菊池が追想記(「注文の多い料理店」出版の頃」)に紹介し「今考えるとこの文句は生かしておいてみたかったような気がする。とにかくこの文句は宮沢賢治らしくていい」と述べているが、たしかにそのような「宮沢賢治らしさ」の充満する童話だったから、都会主義的な資質を身に付けた三重吉には「東北の曠野を走る素晴らしい快遊船」である賢治童話の世界に対して拒否反応をひき起こさせたとみられる。

  その拒否反応は「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」ではどれだけの強度だったのでしょうか。賢治は多数ある未発表作品のなかから迷わずに選んだわけだから、『赤い鳥』への掲載に自信をもって送稿したのでしょう。賢治の分身であるタネリを、まさしく岩手山麓の曠野を走るヨットとして描きあげ都会の児童たちを刺激したかったかも知れません。

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