盛岡タイムス Web News 2011年 5月 31日 (火)

       

■ 〈不屈の意志〉ムラタ・村田欣也社長に聞く 心苦しかった給油制限

     
  震災後の状況を語る村田社長  
 
震災後の状況を語る村田社長
 

 ムラタ(盛岡市、村田欣也社長)の村田社長に東日本大震災津波に伴う燃料事情と、石油業界の復旧の見通しについて聞いた。村田社長は県石油商業協同組合副理事長。停電下のガソリン不足に現場は人力で対処し、パニックの防止に全力を上げた。沿岸のガソリンスタンドの多くが被災したが、三陸の底力で復興を成し遂げると信じている。(鎌田大介)

  -震災後の状況は。

  村田 翌日の12日から油がなくて皆さん並んだ。誰か並べば風評で並ぶ。3日間その状況が続いた。満タンにしていた人が少なかったのか、並ばなければ買えないと思われたのか、寒くて灯油の問題もあった。われわれはタンクが決まっており、出光は八戸と塩釜から物が来る。2カ所とも被災して稼働できなかったので、秋田と新潟からローリーで持ってきた。それまでなら毎朝、何時に来るか分かっていたが、地震後は何時に来るか分からなくなった。オーダーしてもお昼に来たり夕方に来たり。その間は物がないので売れない。
  災害協定により消防や救急車など緊急車両に最低限供給する義務がある。その分は取っておかねばならず、それ以外の物を売らねばならない。タンクの半分くらいは持っておかねばならず、ある程度制限しなければならなかった。
  行列は松園のスタンドに4`、夜中の1時か2時から並んだ。ローリーが来ないので皆さんに売れない。停電中は手こぎで入れた。最低5g、次は10g、電気がついたら20gから30g。緊急車両が来たら注がなければならない。手こぎは昔やったことがあるが、若い人には初めての体験だった。油は大事だということを売る側も認識し、消費者の皆さんに分かっていただけたのではないか。
  被災地に行きたいので往復の油がほしいと言われれば、帰ってこられなくなるので、他の人は5g10gと言いながらも満タンにしなければならない。並んでいた人には少し不満があったかもしれない。おしなべてお客様には最低限の油を提供した。
  価格の問題は、ある程度アルバイト賃を払わねばならず、多少皆さんにご負担が出た。アルバイトがたくさんいないと売れなかった。そういうことで少しずつご理解いただいた。ただ180円から200円で売ったところがあった。それでは批判を受けるし慎むべきだ。われわれは売りたいけれど売れない状況だった。そのうちテレビで被災地に物をやるため、ローリーを振り向けたという話が出てから関東でも並び始めた。
  また、停電でプロパンガスが災害に強いことも分かり、オール電化よりガスという見直しが出てきたのではないか。

  -業界に何が求められているか。

  村田 国の1次補正で被災地の石油業界のため、復旧に131億円の予算が付いた。県内ではガソリンスタンド496のうち46カ所が全壊、一部損壊が102カ所などの被害が出た。復旧のため役立てたい。
  やはり油がないと大変で、ある程度、採算の合う業界になる必要がある。ここ数年の業界は大変だった。ガソリンスタンドが減り、不便を感じて改めてスタンドがあって良かったと分かってもらえたのではないか。価格だけでなくある程度のサプライチェンジができればよいという形を理解いただけたのではないか。
  ただ、今までの延長線にしないためいかに新しい方向性を見つけるか。過当競争をやめて、消費者あってのわれわれだから、製造業ではないので、どういうものが必要とされ、供給するか考えなくてはならない。電気自動車は取り組むべき問題だ。

  -三陸沿岸と地域経済の復興のため何が求められているか。

  村田 明治維新から144年、太平洋戦争が終わって66年の間に災害を受けながら日本は立ち直った。今回も立ち直ると思う。盛岡の人はあまり被害を受けなかったが、沿岸の人は地獄を見た。その反発力はすごいと思う。明治維新や敗戦から立ち直った方の苦難はすごい。復興のため金もかかるがこれから日本は良くなる。阪神大震災で立ち直った関西がまた元気になったように東日本も立ち直ってくれると期待したい。


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