盛岡タイムス Web News 2011年 6月 3日 (金)

       

■ 〈胡堂の青春育んだ書簡群〜学友たちの手紙〉27 八重嶋勲 「悲し」とは今さら言い侍らじな

 ■金田一京助

  52 はがき 明治34年5月21日付
宛 盛岡市仁王小路六番戸小笠原氏方 自炊庵御中 野村長一様
発 仙臺未無掃部町、四、土井氏方 金田一京助
 
「悲し」とハいまさらいひ侍らじな、そハわがこの切なる心と云ひ彰すべくあまりに陳腐の恨みあれば也、
五月雨いぶせききのふの御勞づきあぎあぎ皆様のお情けを謝し奉らんは今更によそよそしき様に候へばさらぬ乍らのわが心の感謝ハ御汲み下され度く候、
廿年来の初めての旅出かのセコンドセコンドに郷土の風物ハ皆うつりゆき水田E々の中已に陸前の境を走る頃ほひよりハ心中の孤恨うたゝおくべからず日ハ瀬峯のわたりに落ちて夕雲とほき故郷のうらみに泣き鹿島台のあたり天地蒼茫として四顧みな荒涼の原なりし時、起って窓を押して遙かに孤心と故山の友ニ訴へんとせしも皆きのふの夢となり申候、今ハ同宿の諸兄皆学校にゆきて後小生ひとりぽちとなりてふみを書き居り申候、何分にも心まだ定まらず情的のふみつヾらんとすれバ総気尽く疑って筆更ニ動き申さず候まヽまづ安着の御報までになしをき申すべく候、餘ハまたゆるゆる、何卒古木さん、後藤さん、炎天さんなどの方々によろしく御願ひ申しあげ候、
 
  【解説】金田一京助は、野村長一(胡堂)の終生の友の一人、一学年は同級であったが、長一が一学年留年。従って金田一京助は一年先に盛岡中学校を卒業、仙台の第二高等学校第一部にこの年9月に入学するが、5月21日に受験勉強のため仙台に出たのであろう。仙台安着の葉書。この年、京助、長一ともに19歳。京助独特の感傷的人情のあらわれた書簡である。この葉書の宛先、「仁王小路六番戸小笠原氏方自炊庵御中」とあるのは、胡堂の随筆に出てくる「白浪五人男」のように生活した思い出深い自炊生活の頃であろうか。
  (NP〇法人野村胡堂・あらえびす記念館協力会副理事長)

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