盛岡タイムス Web News 2011年 6月 11日 (土)

       

■ 〈震災3カ月、復興支援を考える〉「遠野モデル」に学ぼう 本田敏秋市長に聞く

     
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  沿岸被災地の後方支援拠点という構想を打ち出し、陣頭指揮に当たる本田敏秋遠野市長。被災地の支援のあり方について話を聞いた。(馬場恵)

 ■沿岸被災地の支援に市民の厚い協力が得られたのはなぜか。

  歴史的、地理的、経緯から市民の中に沿岸とつながるDNAがあったことが前提だが、
「情報共有」の効果が大きかった。ケーブルTVに朝昼晩と出演。災害対策本部からのお知らせをリアルタイムで伝え続けた。放映回数にしたら50回を超えていると思う。後方支援の必要性は議会答弁やあいさつなどあらゆる場面で触れており「遠野はそういうところなんだ」と知らず知らずのうちに意識の中に入っていたと思う。

  ■ボランティアの動きも速かった。

  3月16日には受け入れをすると発表した。友好市町村から救援物資がどんどん届き、市職員だけでは無理。春休み中の高校生を中心に仕分けしてもらった。とにかく来るものは全部受けろと。行政は、あちらこちらから、いろいろな要望があると公平性を議論し、同じようにできないと結局、「やめた」となってしまう。被災地のニーズが多様化してくれば役所では難しい。4月からは社協に任せた。ボランティアバスなど必要なものはある程度、行政でやりくりするが、どこにどんな部隊を派遣しようと口は出さない。それがある意味、効を奏した。

  ■「後方支援拠点」という発想はどこから生まれたか。

  95年の阪神・淡路大震災の年に県の消防防災課長となり、神戸の大変な状況を目の当たりにした。戻ってすぐ震災の教訓を生かした地域防災計画の見直しと防災航空隊の立ち上げというプロジェクトに取り組んだ。津波の備えなくして防災計画の見直しはあり得ない。人口が減少していく中、これからのまちづくりは連携と交流が必要。産業経済面で遠野が内陸と沿岸を結ぶ結節点であるのなら、防災の面でもその役割が果たせると思った。

  それともう一つ。当時は小泉改革のまっただ中で費用対効果、公共事業見直しのオンパレード。霞ケ関や永田町に行って陳情し、事業を引っ張ってくる時代は既に終わっていた。内陸と沿岸を結ぶ道路を整備するためには地方として構想を持たなければいけない。そこで「命をつなぐ」道路だと。過去にこれだけの大津波がきて大変な被害が出ている。沿岸がずだずたになったときどうするんだと訴える必要があった。

  ■発災当時は遠野市も大変な状況だった。

  市役所庁舎は全壊。ガソリン不足が深刻で、市職員の7割にマイカーをストップさせた。市役所のタンクからも燃料を抜いて福祉施設、病院のためにストック。燃料の管理はすべて副市長に任せ、かなりぎりぎりのところで灯油とガソリンをコントロールした。ガソリンがなければ緊急物資も運べない。4月の定期人事異動も凍結した。

  被災地では遺体がどんどん揚がり、遠野で火葬を受けてもらえないかという相談もあった。そうはいっても遠野の火葬場の能力は1日6体。遺体が何十体と揚がっている状況では断らざるを得ない。そんなとき県から「火葬料金は県が負担します」とか「遠野市の火葬場の能力を調査する」といったような悠長なファクスが入ってくる。土葬も考えなければならないときに「そういう問題じゃないだろう」と、つい怒鳴って電話をかけた。遺族は自分であちこちの市町村に電話をかけて火葬場を探している。なぜ、傷ついた被災者にそこまでさせるのか。県がコーディネートして火葬の仕組みだって作れたはず。確かに県も混乱していたと思う。だが、もう少し遺族の心情に寄り添えばあんなファクスは送れない。

  ■県の対応はまだ不十分だと。

  場当たり的で、すべてにおいてスピード感がない。被災者はすべてを失っているんだぞと大声で言いたい。まず市町村の意向があって県が動き、それでも駄目なら国に頼むという災害救助法の仕組みをいまだに踏襲している。被災市町村の現場は「非常事態」というより「異常事態」。町長が亡くなったり、職員が多数、波にさらわれたりしている。目の前で右往左往している住民を落ち着かせるのが精いっぱいだったはず。こういうときは県の判断で、動ける人間を現場に派遣し、即断即決で指示していいと思う。

  復興ビジョンの策定も市町村によって、ずいぶんでこぼこがある。被害の状況が違うから仕方がない。ただ、復興ビジョンを実際、形にしていくのは被災地の住民。「自分たちがまちづくりをするのだ」という意欲をなえさせないよう、県からもスピーディーに生活再建の支援策を出すべきだ。

  被災地の首長だって苦しい。悩んでいる。まずは市町村の意向という原則は原則として「こういう考え方もあるんじゃないか」と、次の階段に上る前の踊り場に一緒に上がって冷静に知恵を出し合うような支援が必要。首長の背中をちょっと押す、あるいは肩をたたいてやるという姿勢がほしい。

  ■県が示す復興ビジョン、復興計画にも工夫が必要か。

  県の復興委員会では計画期間について6年がいいとか、8年がいいとか議論になったが、そういう問題じゃない。復興できるところは、どんどんアクセルを踏んでもらえばいい。しかし、車輪もなければ、踏むアクセルだってないという市や町だってある。中長期的に沿岸市町村が横断的に課題を共有しながら取り組むべきことと、被災状況によって個別に取り組むこと、がれき処理など国家レベルで考えなければならないこととを整理しなければ。それがないまま、ビジョン、ビジョンと言われているような気がして仕方がない。

  まずもって市町村の意向だというのであれば、対応できるところと、そうでないところの濃淡を付けてもいいのでは。今からでも遅くない。県や被害が少なかった内陸市町村も一緒になって悩み、被災地を応援しようという仕組みを作るべきだ。

  ■沿岸被災地の後方支援を今後、どう展開するか。

  遠野ができる被災者の生活再建支援は粛々とやる。さらに、内陸の市町村と被災市町村とのペアリングなど、きちんとした復興に向けての仕組みを作らなければならないのでは。盛岡が川井にボランティアセンターを構えれば、山田の後方支援には有効だ。

  「陸前高田市に名古屋市からどっと職員の応援が入っているときに、盛岡からは来てない。同じ県内なのになぜ」との声も聞いた。調整の問題で、内陸の首長たちも忸怩(じくじ)たる思いでいる。職員のバランスの取れた配置にも県がもっと力を発揮してほしい。市長会、町村長会も県の批判ばかりでなく、その役割を果たしていかなければいけない。

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