盛岡タイムス Web News 2011年 6月 15日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉233 伊藤幸子 たづかづえ

 常磐なすかくしもがもと思へども世のことなれば留(とど)みかねつも
                                         山上憶良
 
  「柿と茗荷(みょうが)は相性がいい」とは明治の両親の口ぐせだった。昔から庭の柿の木の下には茗荷が群生し、秋の口腹を満たしてくれた。そして「梨とフキ」も合うらしく、緑の大盃に散るまっ白な梨の花の風情は遠い祖(おや)たちの心を偲(しの)ばせる。

  そのフキが刈りごろを迎えた。丈高く深い緑の茎のみずみずしさを喜ばれて、立ち寄る方々にあげることも多い。ところがあまり切れる鎌がない。去年のフキ刈りにはさかんに使ったのだから、その後どこかにいってしまったらしい。「ツカダ(道具)をそまつにするな」と両親にとがめられているようで首をすくめる。

  鎌ではないが、万葉歌人憶良さんに「たづかづゑ」という言葉があったはずだと思い、さがした。長歌である。「手束杖 腰にたがねて か行けば 人に厭(いと)はえ かく行けば 人に憎まえ 老男(およしを)は かくのみならし たまきはる 命惜しけど せむ術(すべ)もなし」対照的な愛の歌として「乙女子の寝所の板戸を押し開いて、乙女の玉のような手をさしかわして寝た」と詠んだ日もあったのに、今や老いてしまって、たづかづえ(手に持つ所が丁字型になった短い杖)を腰にあてがってあゆむ老人。あっちに行けば人に嫌われ、こっちに行けば憎まれる。年をとった男はこんなものだとつぶやく。

  掲出歌はこの長歌についた反歌。「岩石のように不変でありたいと思うけれど、移ろいやすい世であるから年も命も引きとめられない」との意味。老人問題、意識、現代にも十分通じる心模様と思う。

  憶良は渡来人。660年百済に生まれ、4歳の時百済が滅び、父憶仁(医者)に従い日本に渡る。27歳の時、父死亡。隋一の知識人でありながら、日本の官僚組織に組み入れられるには相当難しく、長く写経生だったと伝えられる。

  憶良の「貧窮問答の歌」や子を思う歌には現代の私達が読んでも身につまされるものが多い。でも当時としては74歳の長寿を全うした彼の老、病の歌に今、強く惹かれる。若く、恋人に会えぬ嘆きの「孤悲」もあったが、刻々と年を重ね、体も弱ってくる。それをたった一人で受けとめねばならぬのだ。「手束杖腰にたがねて」歩く老人憶良が見える。彼は時に「生きていられれば鼠(ねずみ)だっていい」と言い「ああ、はづかしきかも。我何の罪を犯してか、この重き疾(やまひ)に遭へる」と書く。転々と乱れる含羞(がんしゅう)の心こそ、紛れもなき老いの姿といえようか。(八幡平市、歌人)

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