盛岡タイムス Web News 2011年 6月 22日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉234 伊藤幸子 或る楽章

 たちまちに君の姿を霧とざし或る楽章をわれは思ひき
                              近藤芳美

  20世紀後半の歌壇に大きな影響を与えて亡くなられた近藤芳美さん。平成18年6月21日に93歳の天寿を全うされて早くも5年たつ。この降りみ降らずみの梅雨期になると、私は有名な掲出歌を思い、先日もある音楽家の方と話した。「或る楽章」に専門家としての反応を示される。

  この歌について、短歌総合雑誌の近藤芳美追悼号でゆかりの方々の座談会での発言がおもしろい。近藤さんが「昨日は中学生から、電話がかかってきてね。〈或る楽章〉というのは先生、何の曲の、何楽章でしょうと言うんだ。それで、『何でもいいんだ。君の好きな曲ならいいんだ』と答えてあげたよ」と言われたと回想される篠弘さん。

  昭和23年2月出版の第一歌集「早春歌」。「私たち、こういう歌作れなかったわよね。戦後の我々にとっては飛びきりな美しい技術で、あこがれの一つですね」と馬場あき子さん。「彼は植民地育ちで、職場が最初に朝鮮半島に行っている。あそこはいわゆる西欧的というか、ユーラシア的で大陸的。ああいう感じは植民地独特の文化」と説かれるのは岡井隆さん。

  同年に出た「埃吹く街」も明るい相聞の歌があり、読むたび心を揺さぶられる。「水銀の如き光に海見えてレインコートを着る部屋の中」「赤きコート又着ることもあらざりき吾らに長き戦ひのとき」コート二着。それをまとう窓外は戦争の背景。「枯草の夕日に立てり子を産まぬ体の線の何かさびしく」「漠然と恐怖の彼方にあるものを或いは素直に未来とも言ふ」恐怖の彼方にあるものを未来と言う、とのとらえ方は平成の今も胸をかすめる思いである。

  93年の生涯に残されたおびただしい作品群。戦争に二度も召集され、「怒りをいえ怒りを抒情の契機とせよ今つきつめて〈詩〉といえる営為」氏は戦後はずっと新仮名遣いを通された。伝統ある朝日歌壇でも切れ味のいい選評と常連さんの作品を読むのが楽しみだった。

  80歳をすぎても老いを詠まなかった人。桜井登世子氏のエピソードが笑える。ケア付マンションに転居しようとして「ぼくも88になりましてね。そろそろ老後のことを考えようと思って」と言って周りの人々を笑わせたという。「マタイ受難曲そのゆたけさに豊穣に深夜はありぬ純粋のとき」音楽、芸術を愛し洗礼も受けられて、晩年はバッハのマタイ受難曲を聴きながらすごされた由。近藤芳美主宰の「未来」誌掲載最後の歌となった。 (八幡平市、歌人)


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