盛岡タイムス Web News 2011年 9月 3日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉227 岡澤敏男 赤いズボンに黄色い筋

 ■赤いズボンに黄色い筋

  盛岡に騎兵第3旅団が創設されたのは明治42年7月のことで、賢治が盛岡中学に入学して3カ月後の頃でした。新聞は10年来の悲願だったと報じ、県市を挙げて歓迎ムードに沸いていました。

  その前年の41年6月には工兵第八連隊が盛岡に駐屯したが、弘前の第8師団からの移駐だったからさほど大騒ぎをしなかった。それに比べて騎兵第3旅団は新たに盛岡に創設されたものだったから、異常に高揚した歓迎ぶりだった。

  7月1日より9日まで、各地の師団より騎兵第3旅団に編成される兵馬が盛岡駅に到着するので、日割りをきめて町内会、婦人団体、学校等に歓迎の出迎えを割当てたのです。1日から7日の間、盛岡中学校の生徒たちも盛岡駅に歓迎に出向いたことが同校「学校行事」資料に記録されている。この行事に1年生だった賢治も参加したのかもしれない。

  また新設騎兵旅団の編成が9日に完了し、12日には観武ケ原練兵場において午前10時より騎兵第3旅団の観兵式が挙行されました。この日の「盛岡中学校学校行事」に「観武ケ原に騎兵第三旅団閲兵分列式見学」と記録されているから、指揮官の号令で千余の人馬が一糸乱れずに行進するありさまを賢治少年はどんな印象で見守ったのか。

  のちに書かれた短篇「柳沢」の宿での次の会話に、騎兵隊から受けた初印象が反映しているのかも知れない。
 
  「あしたは騎兵が実弾射
  撃に来るさうぢゃない
  か。どこへ射つのだらう」
  「笹森山、地図を拝見、
  これです。なあに私等の
  方は危くありませんよ」
  「しかし弾丸が外れたら
  困るぜ」
  「なあに、旦那さん。そ
  んたに来ません。そぃつ
  さ騎兵だんすぢゃぃ」
 
  また「ポラーノの広場」の先駆稿「ポランの広場」の次の一節にも騎兵隊の印象が反映しています。
 
  するとファゼロが叫びま
  した。
  「僕のずぼんに黄のすぢ
  を入れてお呉れ」
  見るといつの間にかファ
  ゼロがちゃんと騎兵のや
  うな赤いズボンをはいて
  青い綺麗ななめし革の上
  着を着て背のうもてかて
  かする新しいのをしっか
  りしょって靴までキッキ
  ッ鳴らしてゐたのです。
  (中略)
  そしてよく見ますとだん
  だんファゼロのズボンに
  上の方から黄のすぢが入
  って行くのでした。
 
  賢治は騎兵の軍装を「赤いズボンに黄色い筋」とイメージしているが、黄の筋ではなく「萌黄の筋」だったと指摘する人もある。しかし賢治が観武ケ原の騎兵第3旅団の閲兵式で目に刷り込んだ騎兵の軍装とは、「赤いズボンに黄の筋」であったとみられる。

  その印象をひきずって、何篇かの作品に旭川の兵隊上りの男を登場させているが、男の首には欝金(うこん)のマフラーを巻かせているのです。ウコンイロを「色名帖」(日本色彩研究所編)で調べると「Orange Yellew」とあるので、ウコンイロとはレモン色よりももっと濃厚な黄色をしたオレンジ・カラーなのでしょう。

  いずれにしろ「赤いズボンに黄色の筋」のある軍装を、賢治はあくまでも騎兵隊のシンボルと認識していたものらしいのです。

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