盛岡タイムス Web News 2011年 9月 7日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉245 伊藤幸子 「迢空忌」

 くりやべの夜ふけ あかあか火をつけて 鳥を煮魚を焼き ひとり楽しき
                               折口信夫
 
  9月3日、ことしも折口信夫、迢空忌が巡ってきた。明治20年大阪生まれ、昭和28年、胃癌(がん)にて没、66歳。あまりに大きい山脈ゆえに幾多の学者研究者の書かれた文献も膨大なものだが、残暑の中ことしは池田弥三郎さんの食物談義に引きこまれた。

  「迢空折口信夫先生は、無類の食いしんぼうで、ふだんから癌で死ぬだろうと言っておられたが、亡くなる一週間前まで実によく食べておられたから、ご満足だったろうと思う」と、晩年の箱根の山荘の暮らしを述べられる。

  「ご満足」はどうかと思うが「静かなる昼食(ひるげ)をしたり。いやはてに そばのしるこをすすろひにけり」は三田の昼休み時間に池田さんのお伴で永坂の「更科」へ行かれた折の作とのこと。そばのしることは、しるこの中にもちではなくそば切りかそばがきを入れたもので、学生達には人気がなかったらしい。

  昭和28年という年は、2月に斎藤茂吉逝去。3月2日の葬儀に折口は身の衰えを覚えつつも出席。6月3日は堀達雄の葬儀、弔詩を捧げる。8月、箱根の折口宅に角川源義(角川書店主)氏来訪。その車の運転手に折口は「雪しろの はるかに来たる川上を 見つつおもへり。斎藤茂吉」の色紙を与えたという。これが折口最後の揮毫作品と「折口信夫伝・岡野弘彦」にある。

  死の半月前、折口と客人、側近の人々との写真を見る。「新潮日本アルバム」には28年8月16日の一葉があり、浴衣姿の折口の両わきに角川源義、岡野弘彦さんがおられる。折口はやつれもなく、まさかほどなくこの世を去られる人とは思えない。今から58年前、黒い丸首シャツの岡野さんは20代か、師弟の視線がひびきあう。

  折口は生涯めとらず、養子に迎えた藤井春洋も、硫黄島にて玉砕。後年藤井の故地石川県羽咋(はくい)市に父子墓碑建立。折口の戒名は生前の筆名「釈迢空」。生をも抱えこんだ死を肯定していると解釈される。いうまでもなく「釈」は釈迦の弟子であるとの表明。さらに祖父の系譜につながる飛鳥坐(あすかにいます)神社の出自が生の支えとなったようだ。

  この羽咋での三年祭の写真に、池田弥三郎、伊馬春部さんの顔も見える。池田さん宅には春洋さんの実兄より、鴨が送られてきたという。年に一度鴨鍋をして、折口父子を偲ぶと聞いて、自分で撃って届けてくれた由。「食物誌の著者たるにふさわしい人に、私は折口先生以上の人を知らない」と書かれる。当代随一の健筆健啖家なりし故池田弥三郎氏昭和50年ごろの話である。
(八幡平市、歌人)

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