盛岡タイムス Web News 2011年 9月 13日 (火)

       

■ 〈古都の鐘〉48 チャペック・鈴木理恵 古いものには大らかさがある

 
     
   
     

古いものが好きで、通りがかりにのみの市やアンティークの店をのぞいたりする。インターネットにもオーストリア国内の古物市があって、時々信じられないようなものが出て来るから面白い。先日はベートーベンが住んでいたアパートというのが売りに出ていた。

  少し前になるが、そこで一人がけのソファを一万円もしないくらいで手に入れた。こちらでは「耳椅子」と呼ばれるクラシックなもので、大きな背もたれに、象のような耳と、昔の家具に良くあった猫足がついている。

  教えられたウィーン17区の住所に椅子を引き取りにいくと、待ち受けていたのはモダンなアパートに住んでいる40歳くらいの女性、おばあさんから受け継いだけれど、趣味に合わないし場所を取るので困っていたと言う。確かに今風のシャープな家具の並んだ、天井の低い部屋には、場違いに大きくそぐわない感じで椅子の所だけ浮いていた。

  昔初めてフランスを訪れた時、日本ではなかなか手に入らない楽譜を山のように買ったが、その時フォーレの1番のバイオリンソナタの昔の楽譜も見つけて目を奪われた。それは自分で製本したらしく、美しいリラ色の厚い紙で覆われていて、バイオリンパートはなくしてしまったのか、とてもきれいに万年筆で筆写してあった。紙を貼るなり音符を書くなり、なにかものを大事にするのを楽しんでいる感じが伝わってきた。使い古しだから値段はとびきり安かった。

  そういえばわたしの母も、なけなしのお金をはたいて苦学生時代1冊1冊買ったのだろう、チャイコフスキーやフランクの楽譜に、きれいにデパートの包装紙でカバーをして使っていたのを思い出す。裏には旧姓の名前が書いてあった。

  銀メッキのポットのセットも何年か前にイギリスで格安で見つけた。コーヒー用と紅茶用のポットが一つづつとクリーマーと砂糖入れ。本当に真っ黒な状態だったけれど、店の主人は磨けば使えると言う。半信半疑で持ち帰って磨くと −合計何時間磨いたことだろうか−、みにくいアヒルの子は本当に美しい白鳥になった。それでもしばらく放置しておくと、酸化して黒ずんでくるのだが、磨く手間ひまを楽しむ心と時間のゆとりが、少なくともその昔はあったということだろう。

  ピアノは今や世界中どこへ行っても、ウィーンでもニューヨークでも東京でも、スタインウェイはスタインウェイの音がし、ベーゼンドルファーはベーゼンの音がする。高い品質を均一にして量産できる今ならではの、少々皮肉でもある素晴らしさだ。

  それにくらべると、古いピアノはちょっとしたことで、鍵盤があがらなくなったり、ペダルが外れたり、いろいろ気難しい。しかし音は1台1台、実に驚くほど違う。同じメーカー、作り主でも、人の声がひとりひとり違うのと同じように、音色が違い、アクションにもクセがある。面倒なところが多々ありながらも、わたしが引かれているゆえんがそこにある。

  わたしは子供の本が好きで、「くまのプーさん」も愛読書のひとつだが、シェパードによって描かれたオリジナルのプーさんは、ディズニーのものよりも素朴で親しみやすいと思うけれど、どうだろう、わたしの感覚が古いのか。興味のある方は探して見比べてみてほしい。

  古いものには新しいものが失ってしまった大らかさがある。毎朝コーヒーを飲むカップには、手描きの花模様がついていて、その一筆一筆に伸びやかさがある。人間にも、おそらく同じことが言えるのだろう。懐古趣味になって現実に対応できなくなるのも困りものだけれど、何でも新しいのがいいということにも、疑問を呈する気持ちは持ち続けたいものである。
(ピアニスト)


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