盛岡タイムス Web News 2011年 9月 17日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉229 岡澤敏男

 ■欝金(ウコン)マフラーの謎

  童話「銀河鉄道の夜」第九章〈ジョバンニの切符〉のなかに、工兵隊が架橋したり発破をしかけたりする場面が描かれている。弘前第八師団の工兵第八大隊が盛岡に駐屯して〈盛岡工兵隊〉とよばれ、市内の北上川で架橋や発破の演習を実施していたから、中学時代の賢治が実際にその演習を見る機会があったのでしょう。私も明治橋からその光景を目撃した記憶がある。

  また童話「月夜のでんしんばしら」では、六本うで木の22の瀬戸もののエポレットをつけた電信柱兵の隊列が「二本うで木の工兵隊/六本うで木の竜騎兵」というおもしろい軍歌を歌う場面もある。明治41年以降は盛岡に工兵隊と騎兵隊が衛戌(えいじゅ)するようになったから、工兵隊と騎兵隊のちょっとした動静にも地元紙は漏らすことなく詳細に報道するようになり、軍事に不案内な賢治とて無関心であり得なかったのでしょう。

  作品に現れる兵種が工兵より騎兵に関係するほうが多くみられるのは、中学1年に騎兵第3旅団と遭遇した心象が強く刷り込まれていた証左とみられる。

  詩篇の「風林」(「ばうずの沼森のむかふには/騎兵連隊の灯もよどんでゐる」)、「旭川」(「一列の馬を引く騎馬従卒のむれ」)、「林学生」(「何か巨きなかけがねをかふ音がした/それは騎兵の演習だらう」)、「遠足統率」(「いつか騎兵の斥候が/秣畑をあるいたので/誰かがちょっととがめたら/その次の日か一旅団/もうのしのしとやってきて/大演習をしたさうです」)、童話の「土神ときつね」(「ずうっとずうっと遠くで騎兵の演習らしい…」)、「二人の役人」(「野原は今は練兵場や粟の畑や苗圃とでもなってそれでも騎兵の馬が光ったり…」)、「ポランの広場」(「いつの間にかファゼロがちゃんと騎兵のやうな赤いズボンをはいて…」)と騎兵が挿入されている。

  また騎兵(と見られる)の兵隊上りの男が登場する作品もある。短篇「柳沢」(「旭川の兵隊上りの欝金(ウコン)マフラーの男」)、童話「かしはばやしの夜」(「葡萄酒を密造する元一等卒の清作」)、「葡萄水」(「〈黄いろなすぢの入った兵隊服〉を着て葡萄とりに出掛ける耕平。この兵隊服は〈黄いろなすぢの入った〉一等卒の上着」)、「谷」(「馬番の理助が欝金の切れを首に巻いて…」)などと、騎兵の兵隊上りの男がいずれも欝金マフラー(切れ)を首に巻いて登場するのです。

  賢治は「ポランの広場」(「ポラーノの広場」の先駆形)でファゼロのズボンを「騎兵のやうな赤いズボン」で「上の方から黄のすぢが入って行く」と描いているのは、中学1年時に騎兵第3旅団の観兵式を参観したときに目に映った軍装だったのではなかろうか。戦闘機上で首に巻くマフラーがひらひらする操縦士のファッションと、欝金の切れを首に巻き疾走する騎手のファッションとを重ねてイメージしたのかもしれない。

  賢治は服飾に対してそのような美意識が深いように見えます。詩篇「小岩井農場」の下書稿のなかで耕耘部の農婦の服装について「黒いきものも立派だし/白いかつぎも、よく農場の褐色や/林の藍と調和してゐる/本部か耕耘部かには/よほどしっかりした技師が居るぞ」と感心しているのです。欝金のマフラーは「赤いズボンに黄いろのすぢ」の軍装と欝金との観念連合によって発想された騎兵の比喩だと思われます。

 ■ 「空の工兵大隊」(童話「銀河鉄道の夜」抜粋)

「あれ何の旗だろうね。」ジョバンニがやっとものを言いました。

「さあ、わからないねえ、地図にもないんだもの。鉄の舟がおいてあるねえ。」(中略)

「あゝあれは工兵の旗だねえ。架橋演習をしてるんだ。けれども兵隊のかたちが見えないねえ。」(中略)

  その時向ふ岸ちかくの少し下流の方で見えない天の川の水がぎらっと光って柱のやうに高くはねあがりどぉっと烈しい音がしました。

「発破だよ、発破だよ。」カムパネルラはこをどりしました。

  その柱のやうになった水は見えなくなり大きな鮭や鱒がまらっきらっと白く腹を光らせ空中に抛り出されてまた水に落ちました。ジョバンニはもうはねあがりたいくらゐ気持ちが軽くなって言いました。
「空の工兵大隊だ。どうだ、鱒やなんかまるでこんなになってはねあげられたらねえ。僕こんな愉快な旅はしたことない。いゝねえ。」(以下略)


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