盛岡タイムス Web News 2011年 9月 19日 (月)

       

■ 〈幸遊記〉37 照井顕 林直樹のジャズストリート

 1968年以来44年、世の中の流行に背を向け、カウンターに休まずに立ち続けてきた男・林直樹「ジャズ・ストリート52」のマスターは今年69歳になった。

  岩手宮古出身の世界的ジャズピアニストだった本田竹広。本名・昂(たかし)さん(2006年1月12日、60歳で死去)が、生前25回もコンサートをしに東京から通った店である。店の所在は北九州市小倉。本田より三つ年上だった林さんだが、本田からは、ついぞ「林さん」と呼ばれなかったという、本当に親しい間柄だったらしい。

  学生時代を東京で過し、東京新宿にあったDIGというジャズ喫茶に連日通い、マスターの中平穂積(ジャズ写真家としても有名。現・新宿DUGマスター)が、友達のように付き合ってくれた、ジャズの水先案内人だったからと、今でも店のカウンターに「DIG」のマッチを大切に飾っている人なのだ。

  林さんが生まれた頃、ニューヨークジャズの拠点はマンハッタンの52番街だったことから、その通りはジャズストリートと呼ばれた。「ジャズ・ストリート・52(フィフティセカンド)」の店名の由来はそこから来ているのだろう。

  同年生まれのミュージシャンには山下洋輔(ピアノ)や日野皓正(トランペット)、同業では菅原正二(一関ベイシー)らがいる。演奏者たちは東京で疲れると九州に来たがったのだという。むかしの記憶で最高だったのは1972年、山下洋輔、中村誠一、渡辺文男。三上寛、古澤良治郎のステージだったという。

  今年(11年)1月12日(65歳)に亡くなった仙台出身・ジャズドラマー・古澤良治郎の葬儀に行けないので、山下に電話して「香典立て替えて持ってってくれないかな」と頼んだという彼。その話を知ったミュージシャンや仲間うちから、「山下さんにそんなこと頼めるの林さんぐらいしかいませんよ!」と言われたそうだ。

  それは、70年〜80年代にかけての日本ジャズの隆盛期に、血まなこになって生演奏を地方に持って来、そして広めた地方のジャズ喫茶店主の思いと、当時、競うようにして一生懸命に演奏したジャズ魂たちとの友情の証である。
(開運橋のジョニー店主)

本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします