盛岡タイムス Web News 2011年 9月 21日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉247 伊藤幸子 「名編集者」

 休息のつもりが死亡記事
  となる 
  曽我六郎

 
  「曽我六郎さん(現代川柳研究会代表、川柳作家の故時実新子さんの夫)8月24日、心不全で死去、80歳。葬儀は親族で営まれた。お別れの会は後日開く予定。奔放な作風で知られた時実さんを支え、神戸で川柳結社を主宰した」8月25日、朝日新聞神戸版に掲載の曽我六郎さんの訃報である。旧知の柳誌「川柳大学」の重鎮の方より、曽我氏重篤のことは聞かされていたが、葬儀の走り書きといっしょに、黒線の引かれた9行の死亡記事のコピーを頂き言葉を失った。

  平成19年3月10日、時実新子さんが78歳で亡くなられたときは、全国のマスコミにとりあげられ、週刊誌大の35ページの追悼集が編まれた。「有夫恋」で社会現象をひきおこした柳人を偲ぶゆき届いた冊子は、さすが名編集長たる曽我氏のお手なみと感じ入ったものだった。

  私は「六郎さん」「ゆうさん」と呼び合いながら新子さんを師と仰いで、まるで家族のようなふんいきの編集室の様子を聞くのが好きだった。家老格の杣游(そまゆう)さんは、非常に個性的なプロ作家ご夫妻の側での体験をもとに、新子さんの一周忌には追善集「天才の秘密」を出版。撮りためた慈愛の写真もふんだんに掲載して、味わい深い一巻になっている。

  昭和62年、58歳の新子さんと2歳下の六郎さんの再婚のころから、上げ潮のようにお二人の仕事に拍車がかかり大繁忙期を迎えられる。月刊「川柳大学」誌を主宰、「時実新子全句集」はじめ夥(おびただ)しい著作集を出版。講演、連載、テレビ出演等に全国をかけめぐられた。

  そんなとき、六郎さんの癌発症、新子さんは自ら「つくしんぼ」と諾(うべな)い介護をつくされる。やがて平成15年、六郎さんの句集「馬」刊行。「曽我六郎という人は私にとって知識の宝庫。私が一を問えば十の答を出す根っからの編集者気質に舌を巻く」と新子さんの賛が輝く。

  「べつべつに好きな魚を食う夫婦」、岡山生まれの新子さんと秋田産の六郎さん。食の違いは自我の尊重でもある。「墓の下の男の下にねむりたや」と妻が詠めば「妻の骨わたしの骨にふりかけよ」と応える夫。「老いても美 男必死の身づくろい」ともに今生の審美眼が冴える。

  平成20年、六郎さんの渾身の「川柳研究資料ノート」が出版され後進の蒙(もう)を啓かれた。「百歳になっても編集者でいるか」「もちろんよ」と弾んで答える妻の待つおくつきに帰られた名編集者の姿がたまらなく慕わしい。

(八幡平市、歌人)


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