盛岡タイムス Web News 2011年 9月 24日 (土)

       

■ 〈大震災私記〉8 田村剛一 震災の夜が明けて

 やっと、狭いながらも畳の上に体を横にすることができた。とはいえ、遠くでボンボンとガスボンベが爆発する音。近くではひっきりなしに家の前を走る車の音で、まんじりともしない一夜を過した。
  赤ん坊の泣き声を聞くことがなかったところをみると、ぐっすり眠ることができたのは赤ん坊だけだったのではないか。

  一番先に私は起き、朝めし前の仕事にかかった。それは仮設トイレづくり。おいの家はオール電化だった。便利だと思っていたが、今回の震災で災害に弱いことが分かった。

  停電すると電化製品は全く使えない。いの一番がトイレ。やむなく、夜中、外に出て用を足した。

  幸い、道路をはさんで、私の借りている畑がある。周りより高くなっているので人目につきにくい。そこに、スコップで穴を掘り、その穴の上に足を置く板を2枚渡した。こうして仮設トイレは完了。このトイレは、電気が回復するまで約15日間使われた。

  町の方の空をのぞむと、黒い煙がもうもうと立ち込めている。火の手はすぐ目の前まで迫っているようだ。

  掃除もそそくさと朝食。その辺にあるものを食べた。朝食が済むと「お世話になりました」と言って客人たちは出て行こうとする。やはり教え子だった。

  「ここにいていいよ」と言ったが、連れもあり世話になりにくかったのだろう。そのまま礼を述べ出て行った。

  その後、避難所で何日か過し、稼ぎ先の宮古の重茂に帰ったというが、この母子と会うことはなかった。

  火事は、私の家から10軒先の所まで迫っていた。わが家が心配になり家に向かった。震災後、初めて見るわが家周辺の光景。家の前の道路には、屋根付きの家が流れつき、完全に道をふさいでいた。隣の家はめちゃめちゃに壊れ、残った半分がわが家に寄りかかっていた。玄関前はがれきの山だった。

  そのがれきをかき分け玄関に入ろうとしたら、玄関扉のないことに気づいた。玄関扉は津波で破られていたのである。

  中に入ると一階はめちゃめちゃ。畳は黒い泥がべったりついてひっくり返り、障子や襖はどこに行ったか見当たらない。どこから運ばれてきたのか、集魚かご、延縄、浮き玉がいっぱい。風呂場をのぞくと、首のないサメや生のイカ、そしてフナムシが動いていた。浸水で済んだとはいうものの、住める状態ではなかった。

(山田町)


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします