盛岡タイムス Web News 2011年 9月 27日 (火)

       

■ 〈大震災私記〉10 田村剛一 悲しき知らせ2

 悲報を聞きながらも、火事が気になった。消防車のサイレンが聞こえる。川井消防団の名が見えた。他市町村からの応援だ。

  役場、公民館の広場は、火事見物の人でいっぱい。「自衛隊のヘリはどうした」。そんな声がした時のこと、北の方からヘリの姿が近づいて来た。「おいヘリが来たぞ」。その声はまさに歓声に近かった。

  私たちの手前上空で停止すると、そこから消火剤を投下。8時少し過ぎのような気がした。これで、火勢はいく分哀えたように思った。

  そのころ、続々と悲報が入って来た。「せんべい屋の夫婦が見えないそうだぞ」。

  実は、そのことが気になっていた。昨夜、コミセンでその息子を見かけた時、同じようなことを言っていたからだ。

  せんべい屋とは、珍菓と言われる「山田せんべい」の製造元。夫婦と息子一家で、せんべい店を営んでいた。店主は、中学時代の同級生。同級生でつくっている「壱互会」の会長だった。私は事務局長。長い間2人で同級会を切り盛りした仲である。

  数年前に脳梗塞を患い、体の不自由な身だった。夫婦で行方不明だとすると、奥さんは、夫を庇(かば)って逃げ遅れたに違いないと思った。

  その頃である。私の心配していた事務の女性の無事が確認された。それと同時に、一緒にいた2人の安否が心配になった。

  地震後、女性事務員と事務局長が事務所に残った。豊間根に行っている女性軍が、事務所に帰ってくると思ったからだ。そこに、事務局次長役が車で寄った。

  「そろそろ逃げないと危ない。貴ちゃん先に逃げろ。俺たちもすぐ逃げるから」

  貴ちゃんと言われた事務員は、すぐに車に乗り自宅方向に向かった。背後で「南に行け」という声がしたという。

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