盛岡タイムス Web News 2011年 9月 28日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉248 伊藤幸子 秋分の日

 秋分の日の電車にて床にさす光もともに運ばれて行く
                        佐藤佐太郎

  その季節がめぐってくると、必ずひもとく本がある。口ずさみ、そらんじていた記憶を確かめ、あらたな感動を得て思いのままに渉猟(しょうりょう)する。記憶は時に光とも影ともなり、憧れは一途な稚(いとけな)さと気付くことも、また時を経て理解の領域が広がる嬉しさもある。

  佐藤佐太郎の「秋分の日」の歌。この「床にさす光」に射すくめられたのはまだ少女のころではなかったか。真東向きのわが生家は秋彼岸の中日には、仏壇の真正面に日が射し込むと聞かされて育った。低い萱葺き屋根の軒をくぐって、低い朝日が射す特別の日が私の秋分の日であった。床の拭き掃除は好きでなかったが、朱く射し込む朝の光は全身で感じる「大いなるもの」の存在感に満ちていた。

  あらためてこの作品収戴の佐太郎第五歌集「帰潮」を見ると、昭和25年「秋分の日は昏れがたの空たかき曇(くもり)となりぬ庭のうへ青く」と並び、また「武蔵野の石神井(しゃくじゐ)の池秋分ののちの光は親しくなりぬ」ともあり、翌年には「秋彼岸すぎて今日ふるさむき雨直(すぐ)なる雨は芝生に沈む」の作も見える。作者42歳の時のこの集の後記に「重い断片、光る瞬間」との記述がある。実体的なものに信を置く眼は、単純なもの意味なきものの断片の中に、光る瞬間を発見するの意と汲んでいる。

  第6歌集「地表」には「秋分の日の午後の坂くだりゆくわが靴に砂きしむ音して」と、より生活実感の親しい歌がある。同昭和28年「盛岡郊外」として「ゆふぐれの寒くなりたる丘のみち栗山大膳の墓をとむらふ」他4首、さらに十和田、平泉と旅の歌が続く。

  明治42年宮城県柴田郡生まれで学齢前に茨城に移り住み、成人以後はずっと東京在住。昭和62年、79歳で亡くなられるまで13歌集、評論集等著書多数。昭和20年「歩道」創刊主宰、斎藤茂吉を生涯の師と仰ぎ、茂吉から継承した写生の道を貫き絶大な人気を博された。

  佐太郎の厖大(ぼうだい)な作品世界の中から、ほんの一部を見てきたけれど、好きな作品はいっぱいある。「街ゆけばマンホールなど不安なるものの光をいくたびも踏む」「ただ広き水見しのみに河口まで来て帰路となるわれの歩みは」等々後者は昭和50年、脳梗塞の療養中に銚子市の病院からひとり杖をついて利根川を見に出かけられた際の作という。各フレーズに刻まれる心拍数や呼吸、歩幅まで見えてきて、読む者をしんと立ちどまらせる深遠な一首になっている。
(八幡平市、歌人)



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