盛岡タイムス Web News 2011年 9月 29日 (木)

       

■ 〈春又春の日記〉40 古水一雄 「羊尾録」通巻第33巻 君アヤシム勿れ

 「通巻三十三冊 羊尾録」では筆が用いられ、10月20日から12月31日までが記されている。家業に専念しながらも、俳句にいそしみ、短歌をたしなんでいる。さらには夜になると谷河尚忠(たにがわひさただ)の主宰する夜学塾で莊子や論語の講義に通う日々である。

  そのような中で、春又春には明らかな心の変化が生じてきている。ある女性に恋心を募らせているのである。それは次のように書き留められている。 
     
  「通巻第三十三冊 羊尾録」  
 
「通巻第三十三冊 羊尾録」
 
 
   (十一月十四日)
    平野と楷行草で書いてみる、楷書が
    一番よく出来た、あの人は楷書のよ
    うな人だと思ふ
 
  恋のなれそめは後に回して、これまでのいきさつをみていくことにする。日を遡ること2カ月半の8月28日の日記に戻る。
 
    墓参の帰途上の橋を渡らんとして又
    相逢ふ、相逢ふて相不知、路上の人、
    夜孝吉君来る源勝寺の幽霊談、冷氣
    満身、九時送って油町にて別る、
     店前を過ぐ、蚊遣しつゝあるハ老
    母か、否か、
 
  心の奥底に秘めてきた女性と偶然上の橋のうえですれ違うことになったのである。そして、ここからさらに春又春の恋の炎は燃え上がっていく。
 
   (九月十三日)
    午後孝吉君来、送ツテ本町ニテ別ル、
    夜又約ヲ踏ンデ来ル、論語談、本能
    談、十時ヲ聞キ去ル、又送ツテ本町
    ニテ別ル、往復紺屋町鍛冶町ヲ通ル、
    往ク時未ダ店ヲ閉ヂズ、相別レテ橋
    ヲ渡リ帰ル、已ニ店戸ノ灯ノ洩ルゝ
    ダニ無シ、
     君アヤシム勿レ、余常ニ鍛冶丁ヲ   通ルヲ、思極マル、フラフラトナツテ
    仕舞フ、
 
  友人の孝吉君を送って帰るというのは口実である。しかも“往復紺屋町鍛冶町ヲ通ル”のにはもちろんわけがある。楷書の似合う女性の店が鍛冶町にあるからである。日記にはいつ知ることになったのかは書かれていないが、已に女性の家を突き止めてる。よく通る道なので店先に出ていた女性をみかけていたのだろう。そこで平野という店の名前を目にし、前述したように楷書と行書と草書と3通りに書き分けてみて楷書の似合う女性だ思ったのだ。

  この日も、もしかして店先に女性が出てはいまいか、一目でも目にすることができまいかという切ない望みを抱いてふらふらと店の前を通ったのである。

  実はこの女性のことを筆者の所属する「盛岡今昔の会」で話題にしたところ、鍛冶町の履き物屋(実家は下駄屋を営んでいたと日記に後述している)であれば、市内南大通に移って現在も営業をしているはずと教えてくれる人がいた。

  早速訪ねていったところ、「ひらのや」の店名で靴とハンドバッグを商っておられた。4代目という女将さんから話を伺うことができたが、結論からいうと二度の火災のために古い資料も写真も焼失してしまって何も残っていないとのことだった。おまけに婿取りだったその女性(もしかして楷書の人の娘のことか)は早く亡くなってしまったので、現存する遺族は後妻の子孫で血縁はないとのことであった。さらに、女将さんの叔母さんという人が昨年89歳で亡くなってしまったので昔のことはもう知っている人は誰もいないとのことである。

  筆者が現在の職場でお世話になっている盛岡市内在住のコレクター・澤井敬一氏は、楷書の人の娘と盛岡高等小学校で同学年とのことで、楷書の人の一人娘を記憶しておられ“色が白くて美しいおしとやかな娘さんで、母親似であれば春又春が恋焦がれるのも無理はない。”とおっしゃっておられた。

  せめて名前だけでも知りたいと手を尽くしてみたが、残念ながら手がかりはなく永遠に幻の女性となってしまった。


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